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横綱レスラー・輪島がいたから新生UWFが生まれた!?…金曜8時のプロレスコラム

10/12(金) 8:05配信

スポーツ報知

 プロレスラーとしても活躍した大相撲第54代横綱の輪島大士(本名・輪島博)さんが下咽頭、肺がんによる衰弱で8日に東京都内の自宅で亡くなった。70歳だった。

【写真】デビュー戦でタイガー・ジェット・シンと対戦した輪島さん

 日大で2度の学生横綱に輝き、花籠部屋から幕下付け出しでデビュー。わずか3年半で横綱に昇進した。学生出身初の横綱で、本名のまま横綱になったのも初めて(現時点でどちらも唯一)。「黄金の左」を武器に史上7位の14回の幕内優勝。大関・貴ノ花と「貴輪(きりん)人気」を誇り、横綱・北の湖と「輪湖(りんこ)時代」を築いた。

 輝かしい横綱時代と比べて、38歳で入門したプロレス時代はわずか2年8か月と短く、訃報においても、付け足しのような報じられようで、プロレス時代にフィーチャーしたものはなかった。

 親方時代に報知新聞の評論家を務めていたというご縁もあり、引退後の輪島さんと酒席をともにしたこともあったが、プロレスの話を聞こうとすると、いつも大相撲やアメリカンフットボールの話に変化された。「ウォリアーズにちゃんこをごちそうしたら喜んでくれたよ」という米国時代のエピソードを聞けたぐらいか。あまり語られなかった横綱レスラー輪島をおさらいしてみると…。

 横綱を引退後に花籠親方として部屋を継承した輪島さんは、年寄名跡を借金の担保に入れるという不祥事が発覚して廃業(日本相撲協会を退職)。1986年4月13日に、ジャイアント馬場率いる全日本プロレスへの入団発表を行い「裸一貫で」出直した。横綱時代130キロだった体重は103キロと発表された。

 世界タッグ五輪に出場したジャイアント馬場&2代目タイガーマスク(三沢光晴)に付いて渡米し、米国武者修行が始まった。8月7日にカンザスシティーで馬場とのタッグでデビュー(フェリス、ホッグ組に勝利)。黄金の左をモチーフにしたゴールデン・アームボンバーという必殺技を編み出し、シングルも含め7連勝を飾った。

 凱旋帰国して11月1日に地元の石川・七尾市総合市民体育館で国内デビュー。タイガー・ジェット・シンとのシングルマッチは、日本テレビで午後7時から生中継された。

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最終更新:10/12(金) 9:28
スポーツ報知