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“批判の自由”のありがたみをかみ締め、守り伝えよう ーサウジの記者不明事件に思うー

10/12(金) 18:00配信

FNN PRIME

心をままを大声で叫ぶ自由

「私はブッシュが大嫌い!」
“I hate Bush! “

ワシントンの某ジムのインストラクターがウォーキング・コースの途中でホワイトハウス前に差し掛かると大声で必ず叫んだ言葉である。

(画像)行方不明になっている記者が総領事館に入っていく様子

時の大統領は共和党のブッシュ(子)で、熱心な民主党支持者であったインストラクターは余ほど彼が嫌だったのだろう。ウォーキングのレッスン中であることなどお構いなしであった。ホワイトハウスの警備に当たるシークレット・サービスの要員の耳にも彼女の叫び声は届いていたはずだが、もちろん、誰からも咎められたりしなかった。

以上は、そのインストラクターの世話になっていた妻から筆者が聞いた話である。

あのインストラクターなら今でも「私はトランプが大嫌い!」と毎回叫んでいるかもしれない。だが、テロ警戒が厳しくなった現在でも、これだけなら咎められる事はない。

『天安門広場』や『赤の広場』で叫ぶと・・・?

日本でも首相官邸前の歩道で「安倍辞めろ!」と一瞬叫ぶだけなら職質さえされないかもしれない。ロンドンのダウニング街の首相官邸前でも同様である。

無届で大規模集会を開き、暴れたり交通を妨げたりしない限り、嫌悪の表明も厳しい批判も先進国家では基本的に自由だからである。

だが、北京の天安門広場で「共産党独裁反対!」「習近平辞めろ!」と叫んだり、プラカードを持って抗議したらどうなるか?
モスクワの赤の広場で「プーチン辞めろ!」等とやったらどうなるか?ダマスカスの大統領官邸前は?平壌では?
ただでは済まないだろう。

行方不明になったサウジアラビア人記者

自国の政策に批判的なサウジアラビア人の記者がトルコのイスタンブールにあるサウジアラビア領事館に入ったきり行方不明になっている事件は、この“批判する自由”のリスクを改めて浮き彫りにしている。

行方不明の記者ジャマル・カショギ氏はアメリカ在住でワシントン・ポスト紙にしばしば寄稿、母国の事実上の最高権力者・ムハンマド皇太子が進める改革やサウジのイエメン軍事介入などを批判していた。ポスト紙の報道によれば、それが気に入らないとムハンマド皇太子自身がカショギ氏の拘束を指示していたとの情報があるという。

カショギ氏の行方は今も不明で、トルコ当局は領事館内で殺害された可能性が高いと見ていると報じられている。

カショギ氏が本拠地にしていたアメリカは修正憲法第1条で表現の自由を保証している。報道の自由もこれに含まれる。

そのアメリカで活動をしていた記者が、批判的な記事を書いていたというだけで母国政府の要員に拐かされ、しかも殺害された可能性が高いとなればアメリカは黙っていない。

議会やメディアを中心に、事件の解明を徹底的に求めると共に、事件の関係者にアメリカ国内法に基づき制裁を加えるよう要求する声が上がっている。

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最終更新:10/12(金) 18:00
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