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元阪神“F1セブン”上坂太一郎さん 「騙されて不信感しかなかったのに…僕が不動産業界で働く理由」

10/14(日) 11:07配信

東スポWeb

【異業種で輝く元プロ野球選手】古くからアニメ発祥の街として知られる東京・大泉学園。「銀河鉄道999」の発車ベルが流れる駅舎を抜け、北口から数分歩いた不動産会社「東宝ハウス練馬」にかつて甲子園を沸かせた元虎戦士がいる。2000年代に阪神で活躍した上坂太一郎さん(41)だ。

「この会社に入って4年目。普段は不動産売買の仲介をしているんです」

 出迎えてくれた柔和な表情に人柄が感じられる。

 愛知・享栄高から王子製紙春日井を経て99年ドラフト5位で阪神入り。プロ1年目から野村克也氏(現野球評論家)の掲げるID野球のもとで台頭。俊足選手を揃えた“F1セブン”の一人として赤星(憲広)、浜中(治)らと一時代を築いた。だが、02年に監督が交代すると出場機会が激減。07年オフには戦力外の憂き目に遭った。

 当時30歳。ケガもなく体は動く。このままプロ生活を終えていいのか。自問自答を続けた結果、クビになった2か月後にある決断を下す。プロゴルファーを目指すことだった。

「現役時代から好きだったので、野球がダメならゴルフで、と思いました。チームの先輩だった桧山(進次郎)さんも球団納会の席で『本気でやってみれば』と応援してくれたので、それならやろうと。引退から数か月後には(ティーチングプロで有名な)江連(忠)さんのもとで練習を始めました」

 1日8時間を超える猛練習のかいもありスコアは着実に伸びた。3年後の11年にはパー71のコースで65を記録し、12年にはつるやオープンのマンデートーナメントにも出場。プロとしての道が現実味を帯び始めたが、このころから思わぬ壁が立ちはだかる。金銭的な負担だった。

 周囲の協力もあり練習には最低限の費用しか必要なかったものの、プロ野球選手だった時と違い会場までの交通費、宿泊費等はすべて自腹なので重くのしかかる。

「一度トーナメントに出場しようとすると数十万円単位で貯金が消えていく世界。ツアー出場を目指していた最後のころは今は亡き祖母のところにまで行き、お金を100万円借りたほど。何とか生きている間に祖母には借金を返しましたが、今でも悪かったなと心が痛みます。ゴルフは実力だけでなくお金も必要。実際にやってみて痛感しました」

 結局、金銭面の苦労もありプロ挑戦を15年に断念。同時期にゴルフを通じて知り合った不動産会社社長の誘いもあり今の会社に就職した。

 不動産業の経験はない。一からのスタートだった。それでも上坂さんには過去の苦い経験があるからこそ、この業界で働く意味がある。

「実はプロ野球を辞めた08年にもつ鍋屋を出店したのですが、その際に地元の不動産屋や後輩にだまされ、高額の費用を支払わされた。以来、不動産屋には不信感しかなかったのですが、今の会社の社長に出会って考え方が変わりました。ここは家の購入時だけでなく、生涯にわたってお客さまをサポートする会社で、人と人とのつながりを大切にする。自分が過去に頼った不動産屋とは真逆の経営方針なんです。自分は不動産屋で嫌な思いをしましたが、お客さまには同じような経験をしてほしくない。その気持ちが強いので仕事へのやりがいも感じているんです」

 現在の生きがいは父親の背中を追って野球を続ける中学3年の長男を見守ること。来春、三重県内の野球強豪校に進学予定という。

「野球に関しては本当に努力をするし、吸収力もある。自分も才能ではなく努力と練習で這い上がってプロになったし、ゴルフにも挑戦した。そういう経験を若い世代に伝えるのも自分の使命だと思っています。長男にそのバトンをつなげられればいいですね」

 波乱の人生を乗り越えた上坂さん。

 かけがえのない遺伝子は新たな世代に引き継がれている。

 ☆かみさか・たいちろう 1977年、愛知県生まれ。享栄高から王子製紙春日井を経て99年ドラフト5位で阪神入団。プロ1年目から活躍し、2007年に現役引退。08年から「もつ鍋 かみ坂」を経営しながら、プロゴルファーに挑戦。09年からはゴルフに専念。12年4月のつるやオープンを含め計2試合のツアーマンデートーナメントに出場。15年4月に株式会社東宝ハウス練馬に入社。現在に至る。プロ通算成績は243試合で打率2割4分8厘、7本塁打、37打点。身長175センチ。右投げ右打ち。

最終更新:10/14(日) 11:07
東スポWeb

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