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父の借金で母と夜逃げ 新聞奨学生で大学まで行ったFP新美昌也さんが伝えたい「未来あるお金の話」

10/14(日) 8:01配信

マネーの達人

ひとり親家庭の支援にも力をいれているファイナンシャルプランナーの新美昌也さんは言います。

「子どもにとって、親から『お金がなくて、ごめんね』と謝られるほど、厳しいことはないんです」と。

なぜ、新美さんは、そうおっしゃるのでしょうか?

新美昌也さん

1962年静岡県生まれ。ファイナンシャルプランナー。
経済的な問題で高校中退後、奨学金の利用やアルバイトで大学に進学。
この経験を生かし、高校や自治体で進学マネー講演会などを行う。
今春から共同通信社配信で「進学を諦めない教育費支援制度の話」(全15回)の連載を開始。
共著に「これで安心!入院・介護のお金」など。

母と二人で、夜逃げ。新聞奨学生に

―新美さんは、経済的な理由から高校に通うことを断念した経験があると伺いましたが

高校2年生の春。たしか、5月頃だったかなぁ? 母親と私、二人で夜逃げをしました。

父が他人の選挙活動に入れ込みすぎて、借金を作ってしまい…。

「明日から東京に行く」と、母から前日に知らされて、高校にも何も言わず行方をくらましたんです。

―学校からすると、「あの子は、どうなっちゃったの?」という状態ですよね…

そうそう。本当に、「あの子、どうなっちゃったの?」ですよ(笑)。

もし、親から事前に「〇か月後に、そういうことになる」という話でもしてもらえていれば、「友達にお別れを言って」とか考えたでしょうけど、なにせ言われたのが夜逃げの前日だったので。

何かを考える暇もなく、トントン拍子に話が進んでいったというか。

―トントン拍子!?

僕の仕事も決まっていましたしね。

転校手続きをしていないので、翌年の3月までは学校に行けない訳です。

母は住み込みでの就職先が決まっていて、僕はひとまず祖父母の家に身を寄せ、祖母がツテで見つけた仕事(工場勤務)に就きました。

それまで通っていたのは進学校だったので、「大学に行きたい」という気持ちはあったんです。

だから、「転校したいんですけど」と、都内の進学校に行ってはみたんですが、「そういう生徒は、とっていません」と、門前払いされました。

ある日、新聞で、高校2年時の編入募集を見かけて。

どうやら退学者が多い学校だったみたいで、20人~30人くらい募集していました。

試験を受けたら、合格。

新しく通う高校が見つかったのを機に、折り合いが悪かった祖父母の家は出ました。

母は住み込みの仕事だったので、僕は新聞奨学生になりました。

奨学金、アルバイトをフル活用し、中央大学法学部を卒業しました。

―なかなか、ハードな境遇ですね…

今の世の中でも、僕みたいな感じの人はいますよ。

でも、まぁ、高校生で新聞奨学生をやるのは大変でした。

大学と違って、高校は毎日行かなければいけないでしょう? 

だから、授業中は、だいたい寝ていましたね。

―生活サイクルは、どんな感じだったんですか?

毎日、午前3時くらいに起きて、まずチラシを挟み込む作業をします。

その作業が、1時間。そこから1時間半くらい配達をして、朝食を食べて登校。

夕方は、授業が終わったら、すぐに帰宅して、夕刊は軽いので1時間ちょっとくらいで配り終わるんです。

あれは、慣れです。

今になってみると「よくできたな」とは思うけれど、やっていた当時は、全く苦ではなかった。

僕みたいな高校生もいましたしね。ただ、雪の日は大変でしたね。配達時間が、3倍、4倍かかりますから。

―高校生といえば、まわりは部活をしたり、恋愛をしたりしているのに…

彼女は、いましたよ(笑)。高校の同級生。

ただ、大学受験をしようと思って高校に行ったのに、通っていた高校は就職する子ばかりだったので雰囲気に流されて、全く勉強はしませんでした。

だから、浪人しちゃって。でも、猛勉強して一浪後は、慶応、早稲田、中央、学習院…、受験した大学は、全部受かりました。

当時は、法律家になりたかったから、中央大学の法学部を選び、進学しました。

―浪人時代も新聞奨学生だったんですか?

浪人時代は受験勉強に集中しました。

新聞奨学生は、高2~高3の夏ごろまでと、大学1年~3年までやりました。

大学4年から就職するまでは学習塾の講師などをしていました。

新聞奨学生制度は、住む場所と食事を提供してもらえて、奨学金ももらえる制度ですからとても助かりました。

この制度がなければ、僕の人生は大きく変わっていたと思います。

高校、予備校、大学の学費は、この奨学金とアルバイトで稼いだお金で、支払いました。

ただ、大学生になると集金業務もあるので、学生時代に司法試験の勉強はできませんでしたね。

「卒業後、司法試験の勉強は2年間だけやろう」と、決めて挑戦しました。

司法試験の勉強を断念後、国家試験受験指導校LEC東京リーガルマインドに就職。

支社長としてやりがいを感じていたが、キャリアアップのため転職。

全く畑違いの伊藤忠保険サービス(株)(現伊藤忠オリコ保険サービス(株))で約10年間法人営業(新規開拓)を経験。

営業当初からFP的手法を取り入れ、在職中はダントツでトップの成績をあげた。

この経験を生かし、さらなるキャリアアップを目指して2004年独立系FPに。

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最終更新:10/14(日) 8:01
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