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「ザ・昭和の観光」な定期観光バス、なぜいま人気 はとバスV字回復、地方でも脚光のワケ

10/14(日) 14:10配信

乗りものニュース

高度成長期に全国へ普及した定期観光バス

 2018年、はとバスが設立70周年を迎えました。同社は戦後すぐに誕生し、全国そして世界からの来訪者を対象に、東京都内や周辺の名所を案内する役割を果たしてきました。一時は経営危機さえ囁かれたものの、現在では毎日約100コースを運行するなどV字回復を遂げています。

【写真】黄色じゃなかった! 昭和25年の「はとバス」

「はとバス」と聞いてまず思い浮かぶのが、東京駅などのターミナル駅を基点に、半日または1日かけて、東京タワーをはじめとした都内の名所をバスガイドが案内して回るタイプのコースでしょう。これらは、「定期観光バス」と呼ばれる路線バスのいち形態です。

 定期観光バスは、特定の日だけ催行される旅行会社のバスツアーと異なり、毎日、あるいは毎週土休日など曜日を決めて運行されます。また、バスに乗って遠方に向かうのではなく、原則としては旅行先で乗車し周辺を巡るものです。多くは、地域の路線バスや高速バスなどと同様に、道路運送法における「乗合バス」として扱われ、走行ルートや運賃などについて国への申請、届出を行っています(旅行業法における「募集型企画旅行」として扱われるものも一部ある)。

 はとバスのみならず、全国で多くのバス事業者が地元を案内する定期観光バスを運行しています。わが国で最初の定期観光バスは大正期に東京都内で運行されましたが、女性車掌(かつては地域の路線バスにも必ず車掌が乗務していた)がガイド役を務めるスタイルは、1928(昭和3)年、別府温泉を回るコースで亀の井バス(大分県別府市)が始めたのが最初だと言われています。

 戦後、高度成長期には国内旅行者が大幅に増え、全国で定期観光バスが運行されます。1957(昭和32)年には、はとバスのバスガイドをモチーフにしたと言われる「東京のバスガール」という歌もヒットしました。

「国内旅行の花形」から一転、縮小へ

 当時、定期観光バスは国内旅行の「花形」でした。多くのコースが日本交通公社(現・JTB)など大手旅行会社の支店で取り扱われ、国鉄の「連絡運輸」扱いで、駅の窓口において予約、購入できるものもありました。ウェブ予約などなかった時代、全国の旅行会社や駅で購入できるのは大変便利だったこともあり、鉄道で目的地に向かい、定期観光バスに乗り換えるという旅行形態は一般的なものになりました。

 伊豆や箱根のような観光地、京都や奈良のような観光都市では多くのコースが作られ、決して観光客が多いと言えない都市でも、県庁所在地クラスには必ずと言っていいほど運行されていました。一般的に、午前コースと午後コースが設けられ、昼食を挟んで両者を乗り通すと地域内の観光地をひと通り網羅できるよう設定されました。

 ところが、1980年代から定期観光バスの市場は縮小を始めます。自家用車が普及し、マイカー旅行の比率が上がったこと、所得が上がり休日が増えたことで多くの日本人が「旅慣れ」し、景勝地から神社仏閣、博物館まで総花的に回るコースでは満足しなくなったことなどが背景にあります。知らない土地に出かけ物見遊山することは、もう特別なこととは言えず、旅行者ひとりひとりの興味関心に沿った旅行が求められるように。一方、高速道路の延伸などにより、地元で集合し目的地までの移動から現地での観光まで1台の貸切バスが担う、旅行会社のバスツアーが増え、手軽に旅を楽しみたい人はそちらに参加するようになったのです。

 乗客減少により、バス事業者は複数のコースを統合し合理化を進めますが、それがさらに総花的で凡庸なコースを生み、利用者はもっと離れました。2000年を過ぎると全国で廃止が相次ぎ、観光客が多いはずの大阪や広島といった都市でさえ、一時は全廃されました。

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最終更新:10/16(火) 16:13
乗りものニュース

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