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都営大江戸線が環状運転にならなかったワケ 都庁前駅はオイルショックで誕生?

10/18(木) 6:21配信

乗りものニュース

「東京環状線」に決まるはずだったが…

 都市計画上の名称「12号線」にかけて、2000(平成12)年12月12日に全線開通した都営大江戸線。最初の開業からしばらくは「12号線」と呼ばれていましたが、全線開通を前に一般公募で路線名を決めることになり、選考委員会は路線名を「東京環状線」に、愛称を「ゆめもぐら」に決める……はずでした。

【路線図】環状部と放射部からなる都営大江戸線

 ところが当時の石原慎太郎東京都知事が「何回まわっても同じ所に戻ってくるのを環状線というんだ」と物言いをつけたことで、一転「大江戸線」になりました。路線図を見るとこの路線は一見、環状線に見えますが、実際は光が丘~都庁前~新宿~大門~上野御徒町~新宿西口~都庁前間を往復運転しています。

「大江戸線」のネーミングセンスはさておき、多くの人にとって「環状線」とは、JR山手線やJR大阪環状線、名古屋市営地下鉄名城線など環状運転する路線のイメージが強いことは確かです。厳密には環状線と環状運転は異なり、中心から周辺に延びる放射線に対して、放射線を横につなぐ路線を環状線といい、首都圏の鉄道であればJR武蔵野線や東武野田線、JR両毛線、関西圏ならJRおおさか東線や大阪モノレールなどが挙げられます。

 ただしこの説明は、大江戸線が立派な環状線であることを説明できても、大江戸線が環状運転を行っていないことの説明にはなりません。なぜ大江戸線は新宿駅で線路をつないで完全な円形にしなかったのでしょうか。

大江戸線のルーツは50年以上前の計画に

 大江戸線のルーツは1962(昭和37)年、新たに地下鉄計画に追加された「9号線」まで遡ります。新宿の東側、大きく迂回して麻布に回る「環状部」は大江戸線に似ていますが、新宿より西側は光が丘ではなく、京王線の芦花公園駅(東京都世田谷区)に向かう計画でした。

 1968(昭和43)年には、京王線に直通する地下鉄10号線(現在の都営新宿線)の計画が追加され、旧9号線の環状部は12号線として独立。また4年後の1972(昭和47)年には、米軍基地跡地を再開発する光が丘団地の通勤輸送を担う「放射部」が加えられ、現在のような「6の字形」となりました。

 ただルートをよく見ると、実際に建設された大江戸線とは異なる部分があることに気付きます。最大の違いは新宿駅と飯田橋駅を避けている点です。都市機能の一極集中を避けるため、あえて既存のターミナルから離れた位置に駅を設置する構想でした。

 12号線は新宿西口に「西新宿駅」を設置する計画でした(この時点ではまだ丸ノ内線の西新宿駅は開業していません)。西新宿駅は麻布方面ホームと蔵前方面ホームをL字型につないだ構造で、光が丘方面から来た列車は麻布方面ホームに発着、都心をぐるりと一周して蔵前方面ホームに到着し、折り返し光が丘に向けて運転する計画でした。

 ふたつのホームが離れているのは、並べて設置するには道路の幅が足りなかったからです。光が丘から都心に向かう通勤客は、オフィス街である渋谷区、港区方面の流動の方が大きくなるため、麻布方面が通過式のホームとなり、蔵前方面が折り返しホームとなりました。

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最終更新:10/19(金) 14:14
乗りものニュース

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