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【インタビュー】NAYUTAH「あの人のライブに行ったら絶対にいい思い出を持って帰れる、そういう、記憶に残るアーティストになりたい」

11/1(木) 15:47配信

BARKS

11月3日、「レコードの日」となるこの日、女性シンガーのNAYUTAHがデビューする。作曲をDJ KAWASAKIが手がけ、作詞を沖野修也が手がける。またMUROによるエディッティングがされ、ディレクターはRYUHEI THE MANが担当した……。これらクラブシーンのツワモノたちを虜にしたNAYUTAHとは何ものなのか? ソウル・シンガー兼パーカッショニストの砂川正和を父に持ち、母はダンサーにして舞踏民俗学者の柳田知子──3歳で舞台デビューという謎多きNAYUTAHの、本邦初公開となるインタビューをお届けする。

◆NAYUTAH インタビュー(2)

■音楽が好きで聴き始めたんじゃなくて
■最初にそこにあって、心地よくて楽しい

──音楽を意識して聴き始めたのはいつごろですか?

NAYUTAH 気付いたら周りに音楽があって……3歳くらいから音楽というものを身体で感じて舞台に立っていた感じですね。歌として、感覚として捉え始めたのは、10代前半ころ、ちょうど歌を始めるくらい。

──3歳のころはどういう音楽を?

NAYUTAH 両親ともに音楽の世界にいたので、両親が教えている西アフリカのトラディショナルな音楽、いわゆるジェンベの音やアフリカの歌、そういうものが周りに常にあったし、両親の好みが60~70sソウル/ファンクだったのでレコードも家にたくさんあって……そういう音楽を聴いて育ったので、邦楽をほとんど聴かずに、常にリズムとグルーブが生活の中にあって、それが楽しいと思ってたんです。例えばアース・ウィンド&ファイアが流れたら勝手に踊り始めたり……いまだにそういう音楽を聴くとテンションが上がりますね(笑)。当時はもちろんミュージシャンの名前も知らないし、なんでこういう音楽があるのか意識もせずに聴いてましたが、今改めて聞き直して、情報も知識も合わせた上で、自分のソウルが響くのは、そのあたりの音楽なんです。音楽が好きで聴き始めたんじゃなくて、最初にそこにあって、そこが心地よくて楽しい。

──友達と話は……

NAYUTAH まず合うことがなかったですね(笑)。母に聞いたら、わたし10歳のころ、日本の歌が入っているCDが売ってることを知らなかったらしいです。

──当時はどちらにお住まいだったんですか?

NAYUTAH 東京です。保育園には行ってたんですけど、保育園って話すことがアニメの歌くらいで……わたし小中高に通ってなくて、いわゆる日本のヒットチャートに触れることなく、家の中でかかっている音楽しか聴いてなかったんですよね。

──ある意味サラブレッド的な……。

NAYUTAH テレビから流れてくる日本語の曲で知っていたのは、『はぐれ刑事純情派』の……。

──なんでそこに行くのか(笑)。
NAYUTAH そういう曲とか(笑)、ピンポイントなんです。ジャニーズって存在するんだな、とか。

──いわゆる日本のヒットチャートには全く触れてない?

NAYUTAH 当時のはほとんど触れてないですね。成長してから知りました。フリースクールに行っていたので、いろんな世代の人がいて流行りがあって、みんなでカラオケに行っても、まあ、知らないわけです(笑)。当時は「私、おかしいのかな」なんて悩んだこともありましたし、のちにはいろいろな日本語の曲を聴いて自分の好きな曲もできたんですけど、10代後半くらいになったら“戻りたい音楽”があって、結局それがソウル、ファンク、R&Bだったんですね。そういう音楽に触れていたいし、やりたいんだなと。そこが自分の原点なんだろうなって思いました。
──日本の曲を聴き始めたときはどういう感覚でしたか?

NAYUTAH 全く別のもの、新しいものという感覚で聴いてましたね。どちらかというと、私が知らなかったことがおかしかっただけで、普通に存在していていい音楽がいっぱいあって……ひとつ言えるとしたらそういう音楽もベースがソウル、ファンク、ブラックミュージックだったりするわけで。例えば宇多田ヒカルさんのデビューから2000年前半くらいのバックサウンドって、アメリカンミュージックですよね? また椎名林檎さんのようにエキセントリックなロックっぽい部分もありつつ日本にしかない要素があるものも好きだったり。普通のトップチャートはもちろんアニソンを聴いてみたり、韓国の歌を聴いたり、ジャンルとか言葉とかこだわりはなく、自分にハマったらそれでいいんです。ベースの音楽があるので、どんなものを聴いても好きなものはそんなにブレないです。

──歌い始めたのは10代のころ?

NAYUTAH 14歳くらいのときにゴスペルシンガーで、ヴォイス・オブ・ジャパン代表の亀渕友香さんに出会って、ヴォイス・トレーニングを受け始めて、そこから人前で歌う機会をいただいて歌ったり、オーディションを受けたり。

──なぜ急にヴォイス・トレーニングに?

NAYUTAH そのころ体調を崩しやすくて、なぜか喉から風邪をひいてたんです。調べたんですけど、甲状腺は弱いものの原因が分からなくて。で、なんとなしに喉元にエネルギーが溜まってるよ、的なことを言われたんですね(笑)。私自身は懐疑的ながら、母には確かにエネルギーを発散できてなかったり、表現しきれてないんじゃないの?と言われて、あなたの中のものを表現するのに踊りもいいけど、歌もやってみたら?と。それが始まりで、歌をやりたくてというよりは、自分の身体のためになるというところからなんです。そしたら全く風邪をひかなくなった(笑)。要はデトックスだったのかなと。いまだに歌う機会がないと喉風邪を引いてしまうんです。

あと亀渕友香さんにズーッと言われていたのが、「無理に声を出そうとしないで、何の力も入れずに、あなた自身の地の声が出れば、それが一番いい声だから、私はあなたに何も言うことはないわ」と。しっかりと地に足をついて“土臭い”声が出たら、それがあなただからと。その土臭さを生かしていきなさいと。それが14~15歳のころですね。で、当時は歌で食べていこうとは思わなかったので、人前で少し歌うくらいで、そこから5年ほど歌わない時期が続いたんですね。
──ヴォイス・トレーニングの後ですか?

NAYUTAH そう、途中から大学に行くために学業に専念することになって。そのときは歌を上手くなろう!とか人前で歌いたい!とかそこまで気持ちがなかった。その後20歳のときに、母が突然、父が昔歌ってた曲を英語にして、リミックスして曲を作って歌おう!と言い出して……。

──そういうプロジェクトを突然?

NAYUTAH 突然(笑)。ただ、歌いたい気持ちはいつもどこかであったけど、自分が歌っていいのかなーと思いつつも、自分の表現したいものはあるし、(昔言われたように)上手く歌う必要もないんだなと思って歌い始めたんです。レコーディングもしてミュージックビデオも作ってという徹底ぶりで(笑)。そのときにフト思ったのが、私は歌と踊りをやっているのが自分らしいなと。それからデモを作ったり、歌い機会を探したり、ヴォイス・トレーニングを始めたり……それが21~22歳くらい。そのころはすでにROOMには遊びに来ていて、それまで触れてなかった音楽に触れるようになって、より歌いたいという欲が強くなりました。ストリートでガンガン弾き語るとか、オーディションを受けまくるとか、自分の表現したいものはどうすればやらせてもらえるのか、いろいろ考えてましたけど、ROOMに来てたことで、ここから始まって、今ここにいる(笑)。

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■ライブになったら視覚的に出せる自分色もあるし、
■身体表現と歌で、色がもっと出せると思う

──今回のデビューのきっかけはDJ KAWASAKIにデモテープを渡したそうですね?

NAYUTAH 2年くらい前に。父の知り合いのミュージシャン仲間の方に頼んで、カバーを2曲とオリジナルを1曲入ったデモCDを営業用に作ったものを。ちょうどDJ KAWASAKIさんのイベントにも足を運んでいたので、「聴いていただけるだけで満足です!」と言いながら(笑)、手渡したのを覚えてます。結局そこからすべてが始まりました。

──例えば、ご両親の伝手をたどって、そちらからデビューする方法もあったわけですよね?

NAYUTAH もちろんそういう伝手もありましたけど、あまり考えなかったですね。父の知り合いで海外で活躍なさってる方に言われたのが、もしアルバムを出したいなら1枚だけなら出してあげられるよ、ただそれで終わるの嫌でしょ?と。しかも自分の色が出せないのも嫌でしょ?と。だったら自分のやり方で道を見つけて、やっていった方が向いてると思うよと。

──ナイスな指摘ですね。

NAYUTAH でも本来ならそれで道は見つからないと思うんです(笑)。でも縁もあって運もあって、私は今こうなった。

──DJ KAWASAKIさんにデモを渡した後はトントン拍子で進みました?

NAYUTAH それから半年~1年くらいは反応なく。私自身、ものすごくガツガツライブをという形ではなかったので、果たして自分はミュージシャンに向いているのだろうか、どうやっていったらいいのか、そういう疑問を、周りにいるミュージシャンやDJの方に見てもらう時期でしたね。ところがある日イベントにお邪魔したら、デモを聞かせてもらったけど、曲を書こうか?と。そりゃ、書いていただけるなら幸いですと。そうすると知らぬ間にデモができたんだけど、と(笑)。

──そこはトントンいきましたね(笑)。

NAYUTAH えー!って感じでしたけど。それから、ちょっと歌ってみて、というところから、アッという間に話が進んで……ただ最初からリリースの話をしていたわけじゃないんです。私に曲を書いてくださって、私が個人で使うなりなんなり、DJ KAWASAKIさんのアルバムに入るかもしれないし、と。しかもこの曲で自分の色が出せないと思ったら、それはそれで気にしなくていいよと。そのときにすごく考えて、いただいた音楽を表現できるのか。しかもNAYUTAHが歌っているからこうなっている、というふうに自分の色を表現できるのか……。すごく悩んだんですけど、いや、これはイケるぞと。だって私のために書いてくださったんだから。あとは私の力量だからやるしかない。

──で、レコーディングに?

NAYUTAH THE ROOMでレコーディングが始まって、それが「見知らぬ街」。最初のデモ入れから1年以上かけてますね。

──結果、100%自分の色は出せましたか?

NAYUTAH レコーディングしたときが95%くらいだったら、今は120%くらい自分が出せるようになりましたね。キチンとしたレコーディングは初めてで、緊張と不安の中、どこまで自分の色を出せるか、出し過ぎてもダメだし……いろいろ考えてやってました。そのときは100%だと思ってたけど、今の方がさらに……そのときのパレットの色が10色だったら、今は20色くらいあるつもり。ライブになったら視覚的に出せる自分色もあるし、身体表現と歌での表現が合わされば、色がもっと出せると思う。

──ところで四ヶ国語、しゃべれるそうですね?

NAYUTAH 英語、韓国語はかなりできます。それにスペイン語は少し。

──今回のシングルはなぜ日本語に? 関わっている人たちは世界レベルですし、例えば英語詞にしてワールドワイドにアピールすることもできたと思うのですが。

NAYUTAH 特に今回、私のキャラクターのひとつに“昭和”というテーマがあったんです。昭和の歌謡曲……昔からある忘れ難い歌詞やメロディ、そういうものを今世に出した方がいい、そういうところから今回の和モノ・スタイルが始まってます。私自身それまでは英語の歌詞ばかり歌っていましたが、いざ日本語の歌を歌ったら、これだなって思ったんです。文化圏としては日本語なのは当たり前なんですが、海外に行かせてもらったり、外国語にたくさん接したこともあって、日本語をすごく“違うもの”と感じていて、私の中で原点回帰というか、日本語の発音でこのメロディを歌うことに意味があって、このメロディに乗っている日本語を聞いているのが心地よい……そう感じるようになりました。

今ってメロディやビートで音楽を聴いてますよね? 音楽の中で言葉ってドンドンなくなっているように思うんです。好きなアーティストだから歌詞を知っているだけで、好きな歌詞だからその曲を聴くっていう行為がなくなっていると思う。そうなったときに、難しい歌詞かもしれませんが、どんな世代が聴いてもスッと入ってきて、「聴いたことないけどいいな」と思わせたいし、A面B面ともにそこは誇れるところになってますね。
──両面で出てくる英語がGIRLのみという……(笑)。

NAYUTAH 普通はサビやコーラスが英語だったりしますよね。英単語が出てきますが、そこもカタカナなのもポイントなんです。昔の歌謡曲、古き良き日本の歌ってなんだろう……それは言葉がチャンと入っている。

──作詞家がいた時代。

NAYUTAH 沖野さんはそこをすごく大事にしてらして、私も共感した部分ですね。

──いよいよデビューですが、どんなシンガーを目指してますか?

NAYUTAH 人の記憶に残る、一生忘れられないシンガー。もちろんいい意味ですよ(笑)。あの人すごいいい歌詞書くよね、あの人すごくいいメロディ書くよね、歌うまいよね、声出るよね、可愛いよね……いろいろな感想があると思いますが、それで記憶に残るかというと違う。常にあの人のライブ行ったら絶対にいい思い出を持って帰れる。家に帰っても余韻に浸れる、噛んでも噛んでも旨味が出てくる(笑)、そういうアーティストになりたい。それがゴールです。
──ちなみにダンスは?

NAYUTAH レコーディング以降は教えたりするのもお休みしてますが、ズーッと踊ってきてるので、その踊るという部分もライブで活かせる機会が増えればと思ってます。小さい頃からやってる音楽が裸足で土の上で踊るような“土着”のものなので、腰が落ちて体幹が動いて、ということがある意味日本人的じゃないじゃないですか? 日本で生まれ育っているけど、日本文化と反しているものを持っている人ってあまりいないと思うので、そこは絶対に生かしていきたいし、そこが私の強みでもあります。舞台で映えるようにその力を使っていきたい。今は歌が中心ですが、私の中で、歌と踊りが一緒になる瞬間が絶対あると思う。

「GIRL(MURO EDIT)/見知らぬ街(RYUHEI THE MAN EDIT)」
2018年11月3日(土)リリース
AT HOME SOUND AHS1
作詞:沖野修也
作曲&プロデュース:DJ KAWASAKI
エディット:MURO/RYUHEI THE MAN
ディレクター:RYUHEI THE MAN

<RELEASE PARTY>
■11月10日(土)
<MAGNETiC-NAYUTAH Debut7” Record Release Party>
渋谷 THE ROOM
Special GuestDJ:RYUHEI THE MAN
Guest PA Live:NAYUTAH
DJ:DJ KAWASAKI/SHACHO(SOIL&"PIMP"SESSIONS)
www.theroom.jp/schedule/2018/11/magnetic_-nayutah_debut_7_record_release_party-.php

■11月17日(土)
<Freedom Time Presents Kyoto Jazz Sextet 12"&DJ KAWASAKI 7"& NAYUTAH 7" Release Party>
@大阪/CONTORT
GUEST DJ:SHUYA OKINO(KYOTO JAZZ MASSIVE/KYOTO JAZZ SEXTET)/DJ KAWASAKI
Featuring vocal:NAYUTAH
DJ:Yoshihiro Okino(KYOTO JAZZ MASSIVE)
and more..
www.facebook.com/events/169611033947675/iflyer.tv/ja/contort/

最終更新:11/1(木) 15:47
BARKS

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