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DNA複製の謎解明 「岡崎フラグメント」発見 岡崎恒子・名古屋大特別教授

11/4(日) 10:40配信

産経新聞

 遺伝子の本体であるDNAの鎖が、短い断片ごとに複製されて連結する仕組みを発見し、生命現象の大きな謎を解明した岡崎恒子名古屋大特別教授(85)。分子生物学の黎明(れいめい)期から活躍したリケジョ(理系女子)の草分け的存在だ。共同研究者である夫、令治さんを40代の若さで亡くし、幼い子供を抱えながら、夫婦で取り組んできた研究を完成させた。

■逆向きの仕組みに挑む

 DNAの複製では、二重らせん構造が解けて、それぞれの鎖を鋳型として新しい鎖が作られる。2本の鎖はそれぞれ逆方向に複製が進むが、一方向の複製を促す酵素しか見つからず、逆向きの複製はどのように進むのかは分かっていなかった。

 逆向きの複製を進める酵素が発見されていないだけなのか、それとも別の仕組みで複製されるのか。1963年、米国留学から戻ったばかりの岡崎夫妻は名古屋大で研究室を立ち上げ、この謎の解明に取り組んだ。夫妻が立てた仮説は、既に発見されている酵素により短い鎖が作られ、それが一本につながるという不連続複製モデルだ。

 研究開始と時期を同じくして、岡崎さんは第一子を出産。妻として研究者として母として奮闘する日々が始まった。昼夜を問わず研究室に詰めるときは、「研究室に大きな段ボールを置いて、その中で子供を遊ばせた」と当時を振り返る。

■夫婦でみつけた「岡崎フラグメント」

 DNAの複製は細胞内で猛スピードで進む。低温にすることで速度を下げ、DNAの鎖を短いままで大量に検出する実験に成功した。こうして発見したのが、今では「岡崎フラグメント(断片)」と呼ばれるDNAの短鎖だ。

 増殖中の大腸菌から短鎖を取り出すことに成功したのは研究開始から3年後のことだったが、当時の学界では否定的に受け止められた。DNAの2本の鎖が解けて複製が進む場所は非常に壊れやすいため、実験で抽出するときに短くなったのではないかと疑われた。

 さまざまな実験を重ね、短鎖の存在に確信を深めていった。同じころ、DNA同士をつなぐ酵素が米国の研究者らにより発見された。岡崎さんらは実験で、この酵素の働きが低下した細胞では短いDNA鎖が蓄積され、正常に機能している細胞ではこの鎖がつながって長い鎖が複製されることを確認。著名な米科学誌に論文が掲載されると、革新的な発見として大評判となった。

 しかし、謎はまだ残っていた。短い鎖はそれぞれがどうして作られ始めるのか、その機構が分からなかった。酵素を合成する働きを持つRNAが起点となって短鎖が作られるのではないかと仮説を立てたものの、実験は行き詰まった。細胞中に無数にある通常のRNAの中から、起点となるRNAを選別・解析する作業は困難を極めた。

■夫の死後も研究を継続

 こうした中、広島で被爆していた令治さんが白血病を発病、75年に志半ばにして亡くなった。夫であり、仕事の上司であり、2人の子供の父親を失った。長男は小学6年生、長女はまだ2歳半だった。

 周囲からは大学を辞めて育児に徹するよう圧力を受けたが、「仕事を続けて」という長男の言葉と、恩師である米スタンフォード大のアーサー・コーンバーグ博士(59年にノーベル医学・生理学賞受賞)の励ましで研究を続けた。「『名古屋の研究を世界中が楽しみにしている。研究を続けなさい』と、強く言われた」と当時を振り返る。

 血のにじむような試行錯誤の末、短い鎖を合成する起点となるRNAの構造を決定。78年に発表すると、これが決め手になり、ようやく世界が岡崎フラグメントの存在を認めた。今では高校の生物の教科書にも載る定説となっている。

■「困難でも諦めない」

 外科の開業医だった父親に、幼い頃から生き物の不思議を教えられた。「ペニシリンが日本に入ってきた時代で、抗生物質によって細菌が死んでいく様を顕微鏡で見せてくれた」。自然な流れで生物学に関心を持つようになった。

 令治さんと出会ったのは卒業研究で滞在した伊勢湾・菅島の臨海実験所。研究一筋の姿勢に感化され、自らも研究の道に進んだ。

 育児との両立に苦心しながら、研究を全うした。「女性は出産や育児でハンデのある時期があるが、それは一時のこと。継続は力。困難があっても諦めないで」と、次世代の女性科学者の活躍に期待を込めた。(科学部 松田麻希)

 おかざき・つねこ 名古屋市生まれ。名古屋大大学院理学研究科博士課程修了。1983年同大理学部教授。97年名誉教授、2016年から特別教授。00年ロレアル・ユネスコ女性科学賞。08年瑞宝中綬章。15年文化功労者。

最終更新:11/4(日) 10:40
産経新聞

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