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<東大寺東塔跡>回廊、鎌倉時代「単廊」に変更 より丈夫に

11/8(木) 22:37配信

毎日新聞

 奈良市の東大寺東塔跡の発掘調査で、塔の周りの回廊が、奈良時代には4面とも壁を挟んで2本の通路が並ぶ「複廊」だったが、鎌倉時代の再建で一部が「単廊」に変更されていたことが分かった。東大寺と奈良文化財研究所などの調査団が8日、発表した。東大寺は鎌倉再建の際、大陸の技術を導入し、より堅固な「大仏様(だいぶつよう)」を東西の塔や大仏殿などに取り入れたが、回廊もこの様式で再建したとみられる。

 東塔は高さ70~100メートルの七重塔だったと伝わる。奈良時代に創建されたが、1181年の平家の南都焼き打ちで伽藍(がらん)などと共に焼失。鎌倉時代に再建された後、南北朝時代の1362年に落雷で焼けた。

 今回の調査で鎌倉期の回廊のうち、東西北の3面は基壇の幅が狭いことや柱の跡から、通路中央に壁のない「単廊」と分かった。調査では奈良時代の回廊が「複廊」だったことも確認した。鎌倉期の回廊の南面については、昨年の調査で複廊と判明している。

 奈良期の回廊は幅約3メートルの通路が2本、鎌倉期は幅4.7メートルだった。規模は奈良、鎌倉期ともほぼ同じで、東西約74メートル、南北約85メートルだった。

 奈良時代、複廊は宮殿や大寺院で用いられ、格式が高いとされた。鎌倉期に南面のみ複廊になったのは、法要に使う正面として重く見たためらしい。

 調査団長の鈴木嘉吉・元奈文研所長(建築学)は「鎌倉再建で大仏様を取り入れたのは、塔同様、回廊も構造的に丈夫にしたかったからではないか」と指摘する。

 現地説明会は11日午前10時~午後3時。問い合わせは東大寺境内史跡整備計画室(0742・22・5543)。【大川泰弘】

最終更新:11/8(木) 22:44
毎日新聞

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