ここから本文です

カラシニコフを生んだ街ではマトリョーシカも武装する ロシア・イジェフスクは町中武器だらけ

11/9(金) 12:00配信

GLOBE+

ロシア少数民族の街

ロシアの内陸部、ボルガ川とウラル山脈に挟まれたあたりに、ウドムルト共和国という少数民族地域があります。ウドムルト人というのは、フィン・ウゴル系の民族であり、モルドビア人と同系統の民族ということになります。

ただ、ロシアの少数民族地域にはありがちなことですが、ウドムルト共和国における多数派はロシア人の62.2%であり、ウドムルト人は28.0%と少数派です。共和国首都のイジェフスク市に限ると、ロシア人68.8%、ウドムルト人14.8%と、後者の影がより一層薄くなります。また、ウドムルト人であっても、都市部ではロシア人と混血した人が多く、純粋なウドムルト人には農村くらいでしか出会えないようです。私がイジェフスクを訪問した際には、「この人はウドムルト人だな」と思えるような顔立ちは、ついぞ見かけませんでした。

イジェフスクにはウドムルト語劇場やウドムルト民族料理店などがあるので、民族共和国であることはかろうじて感じ取れるものの、全体に民族色は希薄で、ロシアの普通の地方都市だなというのが、偽らざる印象でした。

武器推しの街

イジェフスクの土産物売り場などを覗いてみると、プッシュされているのはウドムルトの民芸品などよりも、武器産業に関連したグッズです。それもこれも、イジェフスクが世界的に有名な自動小銃「カラシニコフ」の故郷であるからに他なりません。

ここで、イジェフスクの街の歴史を概観してみましょう。当地には以前から先住民の集落はありましたが、製鉄所の建設が始まった1760年から、ロシアの街として本格的な発展の道を歩むようになります。ロシアのウラル地方には、金属工場の建設が街の誕生に繋がった例が多く見られますけど、イジェフスクはまさにそのパターン。なお、イジェフスクという地名は、イジ川のほとりの街という意味です。

19世紀初頭、帝政ロシアはナポレオン率いるフランスと敵対するに至り、ナポレオン軍の脅威の及ばない内陸部に火器生産工場を建設する必要に迫られました。皇帝アレクサンドル1世は1807年、ウラル地方の製鉄工場を統括していたアンドレイ・デリャービンに、イジェフスク製鉄所を基盤に火器を生産する官営工場を建設することを命じます。これが、今日に至るイジェフスクの武器産業の始まりでした。

官営工場はソ連時代には「イジェフスク機械工場/イジマシ」と名前を変え、また街にはその他の軍需工場も誕生。第二次大戦中には、イジェフスクは実に1,250万丁もの火器を送り出したといいます。

1/3ページ

最終更新:11/9(金) 12:00
GLOBE+

あなたにおすすめの記事