ここから本文です

<麗しの島から>「中国大陸への反攻」に備えた台湾の島、初公開

11/11(日) 7:00配信

毎日新聞

 毛沢東率いる中国共産党と、蒋介石の国民党がかつて激戦を繰り広げた金門島。台湾が米国の支援なども得て死守し、今も烈嶼(小金門)など他の11の島々と合わせて台湾の金門県に属する。このうち最激戦地の大胆島が今年、初めて一般向けに公開された。金門県の許可を得て、現地を取材した。

 ◇アモイから4キロ強しか離れていない最前線

 大胆島は、金門島から西へ約12キロ。中国・アモイの南側に位置し、アモイからは最短距離で約4.4キロしか離れていない。大胆島とそれに連なる二胆島などの島々に陣地を築けばアモイ港を封鎖する形となり、戦いを有利に運べた。この戦略上の要衝を奪おうと、共産党軍は砲撃を集中させた。面積あたりの砲弾数では大胆島が最も多かったという。

 金門県当局はこれまで、軍人や一部関係者を除き、上陸を禁じてきた。だが砲撃戦は1970年代末に終わり、その後、中台関係が改善した。金門県は、将来的に観光資源とする狙いで7月26日~10月31日、大胆島を初めて一般向けに開放した。ただし「敵国」である中国大陸客(香港、マカオ含む)を除く、との条件つき。私は10月28日午前、現地入りした。

 金門島から船で隣の烈嶼(小金門)に渡り、さらに小金門から小舟で大胆島に向かった。参加者は34人。外国人は私だけだ。船で隣になった陳天送さん(51)は小金門出身。「幼い頃は時折、島に砲弾が落ちてきた。『ヒューーーッ』と長い飛翔(ひしょう)音だと金門島、『ヒュッ』と短い飛翔音だと小金門に落ちた。その度に防空壕(ごう)に隠れた」と体験談を聞かせてくれた。「大胆島は金門人にとっても秘境。楽しみです」

 島の東端にある小さな岸壁に上陸した。住民はおらず、軍のみが駐留する。「反攻堡 大胆島」の看板が出迎える。蒋介石は、中国大陸を取り戻すとの意味で「大陸反攻」を掲げた。大胆島はその「堡」(とりで)というわけだ。対岸にはアモイ市の高層ビル群が間近に迫る。島は広さ0.79平方キロで、東京ドーム約17個分。58年8月に起きた「八二三砲戦」では約48万発のうち約10万発がこの島に集中したという。「勇気を奮い起こせ」「死を恐れるな」。至る所に、戦いのスローガンが掲げられている。

 ◇テレサ・テンの歌声の宣伝放送を再現

 島を北側に進むと、アモイのビル群がさらに近づいてきた。すると、どこからか甘い女性の歌声が響いてきた。「♪今宵離別後 何日君再来~」(あなたは今夜別れた後、次はいつ来るの?)。曲はテレサ・テンの「何日君再来」(「いつまた、君と」)。参加者らが「懐かしいね」と歌声に聴き入る。「大胆播音駅」(大胆放送センター)と書かれた施設からの放送だった。入り口の柱には「大陸人の心をつかむ」とある。歌に続いて女性の声でアモイ側に向けた放送が始まった。「親愛なる大陸同胞の皆さん、こんにちは。私たちは豊かで自由で民主的な生活を送っています……」

 台湾出身の歌手で日本でも活躍したテレサ・テンは、中国でも人気だった。大胆放送センターは西側社会の魅力を伝え、投降を呼び掛ける試みだ。韓国が北朝鮮との軍事境界線でKポップを流すなどの宣伝放送を最近まで続けていたのと似ている。大胆島では54年から85年ごろまで続いたという。ガイド役の林天允さん(56)は「当時の雰囲気を知ってもらうために今回、特別に放送しました」。

 ◇対峙する二つの巨大スローガン

 島の北端に着いた。「対岸のアモイまで4.4キロ。あのビルがケンピンスキーホテル、あれはアモイ大学」。林さんが肉眼でも見える建物を説明してくれた。徴兵で74年に大胆島で軍隊生活を送った陳国賀さん(65)=台北市=がつぶやいた。「あのころ大陸は貧しかった。高層ビルも何も無かった。すごい変わりようだ」。その4年後に始まった「改革・開放」政策によって中国は変貌を遂げ、やがて世界第2の経済大国になった。かつて台湾側の豊かさを大陸側に誇示する宣伝放送の現場だった大胆島に、時代の変遷を感じた。

 アモイに面した島の北側には巨大な中国式の壁が築かれ、こう大書してある。「三民主義統一中国」。「三民主義」は、辛亥革命を起こして清朝を倒し、1912年に南京で「中華民国」を建国した孫文が掲げた革命理論。「民族主義、民生主義、民権主義」による中国革命を説いた。孫文の後継者となった蒋介石は、台湾に逃れた後もいつか共産党を倒して再び「中華民国」による大陸統治を取り戻そうと、「三民主義」による中国統一を叫び続けた。

 一方、大胆島から北西の方角を望遠レンズでのぞくと、アモイの海岸沿いに「一国両制統一中国」の巨大な文字が見えた。「一国両制」は中国が主張する台湾の統一方式「1国2制度」のこと。中国側が宣伝の一環で道路沿いに設置したものだ。

 金門島では70年代末を最後に砲撃がやんだ。中台は、経済や観光などの交流が急速に進んでいる。だが政治的には厳しい対立が続いたままだ。中国は台湾をいつでも攻撃できるよう各種ミサイルを配備していると言われる。いまだ続く中台の冷戦状態を、対峙(たいじ)する二つのスローガンが象徴しているように感じた。

 金門県は早ければ2019年にも、大胆島の観光を本格化させる方針。中国大陸からの客を受け入れるかどうかは検討中という。【福岡静哉】

最終更新:11/11(日) 13:26
毎日新聞

あなたにおすすめの記事