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<唐船城>復元図を公表 地元の“常識”破る新説

11/11(日) 10:23配信

毎日新聞

 佐賀県有田町は唐船城築城800年を記念し「築城当時の唐船城」の復元図を公表した。町の依頼で現地調査した城郭考古学者で奈良大学の千田嘉博教授が監修し、人気の歴史復元画家の富永商太さんが描いた。千田教授は「素晴らしい出来栄え。町おこしに使ってほしい」と話している。【渡部正隆】

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 教授は3月22日、唐船城を現地調査。2日後の講演会で、唐船山の南斜面に残る竪堀などから「築城当時は南側のふもとに唐船城(城主の館)はあった」と地元の“常識”を破る新説を打ち出した。

 山の北斜面にはかなりの規模の石垣が残っており、地元は「唐船城は北側に山城として築城された」と伝承してきた。千田教授は「山を城郭化するのは戦国時代から。唐船城は鎌倉時代の1218年の築城。この時代は山を城でなく防壁として使った」と指摘した。

 町文化財課も「石垣は組み方が先進的すぎる。大正時代の工事の可能性が高い」と千田説を支持。南側のふもとを発掘調査した。館に直接つながる出土品はなかったが、南斜面を走る4本の竪堀、塀の痕跡とみられるくぼみを確認し、これらを千田教授に伝えた。

 教授と富永さんはこれまで「幻の安土城」など、現存しない城の復元図を多数作成し、「史実に忠実」と高く評価されている。今回も両者の連携で唐船城の復元図は完成した。

 前を有田川、後ろを唐船山に囲まれた要害の地に館はあり、敷地内に主殿、常御殿、会所、庫裏、蔵を配置した。町文化財課は「中世の武士団の長にふさわしい居館」と歓迎。だが、築城した人物は「有田氏初代の栄か、2代の究かは、記録がなく不明」という。

 「戦国時代の唐船城」の復元図も公表した。こちらは山の北斜面を描いているが、石垣の年代が不明のため城郭は描いていない。

最終更新:11/11(日) 14:53
毎日新聞

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