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阪神ドラ1近本(2)投手「嫌」だったけれど魔球でエースに

11/11(日) 10:00配信

スポニチアネックス

 ◇ドラ1近本光司外野手(24=大阪ガス)(2)

 【ドラフト指名選手 矢野阪神の1期生】東浦中学野球部監督だった巽史明さん(45=現・津名中学社会科教論)は入学前から近本光司外野手(24=大阪ガス)のことを知っていた。2人の兄も野球部で指導。練習や試合の度に弟が観に来ていたからだ。

 1年生の頃は外野をやらせた。転機が訪れたのは2年の夏だった。同級生の複数の控え投手が故障し、投手陣の層が薄くなったことから転向の話を持ちかけた。「投手、やらへんか?」。すると「嫌です」と返事が返ってきた。マイペースな一面と素朴さに思わず「言葉が出なかった」ことを苦笑いで思い出した。

 もともと瞬発力と体幹が強く、素養を感じ取った。チーム事情を理解させ、ブルペンでの数度の投球練習を経て数日後の練習試合に初登板で送り出した。すると、7回を完投勝利。誰もが驚く力を発揮した。「意外にいけるやん」。光司が周囲に胸を張る様子に確信を深め、投手起用を強く推し進めた。3年生が抜けた秋、新チームでは早くもエース格にまでなった。

 2年が終わる春、県大会を懸けた淡路市の予選ではさらに進化した。スライダーを捕手が捕球できない。それも何度も。鋭く曲がったからだ。満塁の場面ではスライダーが捕逸になって失点した。結果的に1点差で敗れ、県大会出場はかなわなかった。

 捕手が捕れないスライダーを巽監督は「消える魔球」と呼んだ。それも理由の一つに捕手が交代。新たにバッテリーを組んだのは幼なじみで後に神港学園で通算107本塁打を記録した山本大貴さんだ。外野から転向し、「光司のスライダーは分かっていても捕れない時があった」と慣れるまで苦労した。

 練習でも工夫してきた。晴天の日には水をためたバケツにボールを浸し、雨天を想定してブルペンで投球練習したこともあった。小、中学校を通じてチームメートだった渕浩輔さんは「いろいろ考えて自分が納得いくぐらいやっていた」と当時を振り返った。

 それでも中学3年間では一度も県大会には出場できなかった。この悔しさが淡路島を“出る”という志を生んだ。島内の高校へ進んだ2人の兄と違う道を選択。甲子園出場を目指し、誘いのあった社への進学を決意した。(長谷川 凡記)

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