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サンミュージック波乱の50年 引きずった岡田有希子の死「お父さんの一言に救われた」

11/18(日) 8:40配信

オリコン

 老舗芸能プロダクション「サンミュージックプロダクション」が11月27日、創業50周年を迎える。タレント第1号の森田健作氏をはじめ、都はるみ、松田聖子、岡田有希子、酒井法子、ベッキー…その系譜を辿れば“芸能界の歴史”そのものとも言える。そこで今回、創業者の故・相澤秀禎さんと二人三脚でサンミュージックプロダクションを設立した元専務、福田時雄名誉顧問に、栄光と波乱の50年について聞いた。

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■松田聖子は押しかけ上京で“ポスト百恵”に「聖子は自分で運を掴んだ」

――サンミュージックの第1号タレントは森田健作さんだとお聞きしました。

【福田時雄】初めて自分で探してきたタレントが森田健作でした。本人は芸能界に興味がなかったけれど、なんとか説得し、当時人気絶頂だった黛ジュンさんの映画『夕月』の相手役募集に応募させたところ、見事合格。それが1968年の11月25日で、撮影がスタートしたのが2日後の11月27日。その日がサンミュージックの創立記念日なんです。

――その後、森田さんは主演映画、歌手デビューと順調なスタートを切ったわけですね。

【福田時雄】そして、相澤(秀禎)が二人目として連れてきたのが野村将希(デビュー時・野村真樹)。その年の新人賞を取り紅白歌合戦に出場しました。そのころ事務所も手狭になり新宿三光町から四谷3丁目に引っ越したのですが、昼間でも電気をつけないと暗いような部屋で。しばらくして森田が撮影用のライトが頭に当たって入院、野村も雑誌の取材中に落馬して入院と最悪の出来事が続きました。

――好転するきっかけというのは?

【福田時雄】新築の日当たりの良い四谷4丁目のビルに引っ越して、不思議と良くなったんです(笑)。そんなときに現れたのが桜田淳子でした。『スター誕生(スタ誕)』(日本テレビ系)の秋田大会をみて、ぜひこの子だと思い手をあげました。

――『スタ誕』からはたくさんのスターが生まれました。

【福田時雄】森昌子、山口百恵、ピンクレディー、小泉今日子、中森明菜など。うちも桜田淳子をはじめ渋谷哲平、岡田有希子など『スタ誕』から9人入りました。この番組は日テレがバックアップしてくれて歌番組やドラマに出られるというメリットもあったんです。

――80年代のスターと言えば松田聖子さんは外せません。聖子さんとはどんな出会いだったのでしょうか。

【福田時雄】CBSソニーの若松宗雄ディレクターが連れてきたのですが、当初は断るつもりでした。ただ彼女の声を聴いたらとても良い声だったので、来年高校を“卒業”したら東京に出てくるように言ったんです。ただご両親が芸能界入りに反対していたので、僕が福岡まで説得にいきました。そしたら聖子はなんと高3の夏休みに東京に出てきました。仕方がないので相澤の自宅に下宿させレッスンを開始しましたが、秋には『おだいじに』(日本テレビ系)というドラマに出演しまして、その役名が「松田聖子」なんです。翌年の春、資生堂のCMソング「裸足の季節」で歌手デビューしましたが、そのタイミングで山口百恵さんが引退を発表し、いきなり聖子が“ポスト百恵”と言われて注目されました。

――タイミングも味方したわけですね。

【福田時雄】高校を卒業してから東京に出てきていたら、そんなことはなかったわけで、聖子は自分で運を掴んだんです。さらに聖子が成功したのは、歌声が良いこと、そして負けず嫌いってことですね。ご両親を説得にいったときも、聖子がお盆にお茶を乗せて運んできて、そのお盆を胸に抱いたまま廊下に正座して、父親が「うん」と言うまで動かないという強い意志を感じました。

――聖子さんがデビューしたころは、歌番組もたくさんあって、歌謡曲がすごく盛り上がっていました。

【福田時雄】都はるみは「大阪しぐれ」が大ヒットしてその年のレコード大賞最優秀歌唱賞を受賞したり、牧村三枝子も「みちづれ」が大ヒット、聖子もヒット曲連発。とにかくいい時期でしたね。

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最終更新:11/20(火) 1:55
オリコン

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