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都心から羽田空港へ直通20周年 ターミナルビル乗り入れで京急はどう変わったか

11/18(日) 17:15配信

乗りものニュース

「空港線」名乗ってから35年後に実現

 京急空港線の終点・羽田空港国内線ターミナル駅(東京都大田区)が開業から20年を迎えました。京急電鉄は2018年11月18日(日)、羽田空港第1旅客ターミナル2階フェスティバルコートで開業20周年の記念式典を開催。京急の原田一之社長と京急のテレビCMに出演しているお笑いコンビ「くりぃむしちゅー」のトークショーなどが行われました。

【地図】未来のライバル「羽田空港アクセス線」

 京急空港線は京急蒲田~羽田空港国内線ターミナル間6.5kmを結ぶ鉄道路線です。1902(明治35)年、穴守稲荷神社の参拝客などを運ぶ路線として開業。戦後は羽田空港アクセス輸送に参入することを目指し、1963(昭和38)年には路線名を現在の空港線に改称しました。ただ、当時の京急は東京都心と横浜方面を結ぶ本線の輸送力強化に力を入れていたこともあり、空港ターミナルへの乗り入れは実現しませんでした。

 1980年代に羽田空港の拡張計画が具体化すると、空港ターミナルへの乗り入れ計画が再始動。1993(平成5)年に羽田駅(現在の天空橋駅)まで延伸開業し、1998(平成10)11月18日には羽田空港駅(現在の羽田空港国内線ターミナル駅)が開業しました。

 羽田空港ターミナルへの乗り入れが実現してから20年がたち、京急は何が変わったのでしょうか。最も大きな変化は利用者の数です。

 京急や運輸省(現在の国土交通省)の公表資料などによると、現在の天空橋駅まで開業していたころは、1日に約2万人が京急空港線から東京モノレールに乗り換えて羽田空港のターミナルに向かっていました。羽田空港国内線ターミナル駅は開業から数か月間の利用者数が1日平均で1.8倍の約3万6000人に。2017年度には1日で約9万人となり、20年間で2.6倍になりました。

「空港中心」のネットワークも構築

 京急線全体の年間輸送人員でみても、1998(平成10)年度が4億652万人だったのに対し、2015年度は約5300万人多い4億5968万人に膨れあがっています。全体での利用者の増減はほかの要因も絡むため一概にはいえませんが、空港線の空港ターミナル乗り入れで利用者が大幅に増えたのも利用者増加の一因といえるでしょう。

 当時の京急は、空港線の利用者の増加について「都心からの顧客に加えて、従来、浜松町経由でモノレールに流れていた横浜方面の顧客も取りこんだため」としていました(1999年4月7日付日刊工業新聞)。このため京急は1999(平成11)年7月、横浜方面から空港に直通する列車も運転するようになり、空港を中心に東京都心から関東南部へのネットワークを構築したのです。

 一方、1964(昭和39)年から空港アクセス輸送を担っていた東京モノレールとの競争も激しくなりました。東京モノレールの年間輸送人員は1997(平成9)年度が6520万人でしたが、京急空港線の空港ターミナル乗り入れで減少。2002(平成14)年度には5000万人を割り込み、2015年度は4514万人にまで減っています。

 そのため東京モノレールはJR東日本との連携を深め、2002(平成14)年にはJR東日本の傘下に入りました。JR線のフリーきっぷで東京モノレールも利用できるようにしたり、京浜東北線の快速停車駅に東京モノレールの連絡駅である浜松町駅を追加したりするなどして、利便性を高めたのです。

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最終更新:11/20(火) 16:14
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