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発売当時は1粒1粒手で…グリコ『アーモンドチョコレート』開発秘話 創業者の想いは次代へ

11/19(月) 6:02配信

関西テレビ

今年還暦を迎えた関西発のロングセラー商品、グリコ『アーモンドチョコレート』!

ロングセラーのきっかけともなった1977年のテレビCMでは、当時新人歌手だった松崎しげるさんの曲「愛のメモリー」を採用。

実は、レコード会社とタイアップし、商品の「イメージソング」を制作したのは、グリコが元祖なんです。

CMを通じて、多くのヒット曲も誕生しました。発売当時のことについて、街で聞いてみると…。

女性:
「覚えてますね、貴重やったね。子供でしたからね、珍しいし、うれしかったね」

男性:
「グリコと言えば、アーモンドチョコみたいな」

CMのほかにも、六甲の山小屋が当たるキャンペーンなど、独自のユニークな広告戦略を展開。さらに大阪・道頓堀に行ってみると…。

薄田ジュリアキャスター:
「外国人観光客は必ずこのグリコの看板の前で写真を撮ってますし、今では難波では欠かせない存在ですが、当時は相当珍しかったんでは?この大きさは?」

江崎グリコ経営企画本部・窪田さん:
「そうですね、初代の看板は今より13メートル高くて、33メートルの高さだったんです」

薄田キャスター:
「なぜそこまでして大きなものを?」

江崎グリコ・窪田さん:
「グリコの商品は、独自性のある商品なんですよ。だから広告をしないとお客様にその新しさが伝わらないんです。ですから余計、江崎利一は広告に力を注いだんですね」

斬新なPR広告で、華やかさが目立つグリコ。しかし、アーモンドチョコレートを世に送り出すまでには、苦難の道が続いたのです。



1922年、大阪市で創業したグリコ。社名にもなっている、栄養菓子グリコや、ビスコといった、それまで市場にないオリジナリティーのある商品を次々と世に送り出したのが、創業者・江崎利一さんです。

(1978年放送「ハローかんさい」より)
江崎利一さん(当時95歳):
「この杓子がね、(最初は)ここまで長かった。それが、すれて短くなった。前はこんな長かった」

司会:
「グリコの中にちょっとずつ入ってたんかな」

江崎利一さん:「(笑)」

菓子業界に新風を巻き起こしたグリコですが、チョコレート市場への参入は後発でした。利一さんの当時の思いを、孫で3代目社長の勝久さんは…。

江崎グリコ・江崎勝久社長:
「菓子の王様はチョコレート。やっぱり“チョコレートをやりたい”と言う気は多分あったんですね。だけど当時、森永、明治ですわ、板チョコは。そこに入っていくのに、普通の板チョコでは差別性がないんですね」

ライバル社が、板チョコをこぞって販売する中、利一さんが目を付けたのは、かつてアメリカで出会った「アーモンド」。

当時、国内では、まだ珍しかったアーモンドを、チョコレート1山に1粒ずつ入れるという斬新なアイデアで、勝負に出たのです。しかし…。

(取材を基に再現した当時の様子)
社員:
「アーモンドをチョコレート1山ずつに入れる機械の開発が遅れています。このままでは予定していた発売日に間に合いません」

別の社員:
「味は変わらないわけですし、1山に1粒のアーモンドじゃなく、ランダムにアーモンドを入れるのではだめでしょうか?それなら予定通り発売できます」

創業者・江崎利一さん:
「ダメだ、その製法なら他社でもできる。他社ができないことをやるのがグリコなんだ。1山に1粒ずつのアーモンドじゃなければ意味がない」

経験のない商品づくりに、製造現場では混乱が続きましたが、利一さんは妥協しませんでした。

江崎グリコ・江崎勝久社長:
「『できるできないじゃなくて、やれ!』と。そんな『できるできない』に耳を貸す創業者と違いますねん。板チョコでちょっと形変えたとか、そんな発想全くなかった。(アーモンドチョレートは)当然ながら、江崎利一の方針、すなわちグリコの開発方針そのものの商品です」

こうした、「江崎イズム」のもと、1958年2月、日本で初めての「アーモンドチョコレート」が発売されました。

結局、機械化は間に合わず、当初は、手作業でチョコレートに1粒ずつアーモンドを入れていました。

江崎グリコ経営企画本部・窪田さん:
「これが60年前に発売した最初のアーモンドチョコレートなんです。板チョコみたいにつながってるんですけど、その1山1山、山の中にアーモンドまるごと1粒を入れた。一般的な板チョコがわりと細長い形で、ラベル巻きだったんですけどね、他社の商品。それに対して紙箱を使ったっていうのも新しかったんです」

当時、アーモンドのグラム単価は、チョコレートの2倍。さらに、紙箱にしたことで、1箱30円と50円という高価なお菓子となりましたが、他のチョコレートとは一線を画した斬新さで、たちまち人気となったのです。



そんな利一さんの、新たな商品を生み出すことへの情熱は、晩年も冷めることはありませんでした。

創業者・江崎利一さん(当時95歳)
「商売3年。グリコの商品が全国に行き渡り人が知るまでに3年かかるんです。そうすると、私が98、99歳になる。長生きしたら、100何歳まででも、私はこれ(商品開発)をやるつもりです。死んだら社員が私の意思を継いでやってくれると思って」

利一さんの願い通り、「創意工夫」はグリコのモノづくりに欠かせない精神として後輩たちに受け継がれています。

そして、アーモンドチョコレートのDNAもまた、「アーモンドピーク」という商品に引き継がれ、次世代のロングセラーとなるべく、進化し続けています。

来年春には、子どもや若者だけではなく、高い年齢層もターゲットに、生まれ変わる予定です。

江崎グリコ・江崎勝久社長:
「よそのアーモンドにシェアを取られているのは不本意ですから。基本的には差別化で、高品質・高付加価値でやっていきます。永久に世の中に残る商品にしようということで取り組んでいる。超重点ブランドですわ」


(関西テレビ11月13日放送『報道ランナー』内「なるほど!ちまたのケーザイ学」より)

最終更新:11/19(月) 6:02
関西テレビ

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