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歴史に翻弄された、31人の美しき女性の生い立ちと運命を描く―岩尾 光代『姫君たちの明治維新』張 競による書評

11/23(金) 7:00配信

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◆些細な痕跡から事実掘り起こす

化学反応の速度を変え、加速させる触媒と同じように、歴史という反応装置に「女性」という分析試薬を滴下すると、過去の天幕にはたちまち色鮮やかなスペクトルが現出する。

江戸城の無血開城といえば、主役の西郷隆盛と勝海舟の二人はまず連想されるだろう。だが、古今東西の多くの大事件と同じように、その裏にも女性の影があった。徳川十三代将軍家定夫人の天璋院篤子と十四代家茂夫人の静寛院宮親子内親王(和宮)らの女性は衝突を回避する「陰の功労者」とかねて言われてきたが、そのわりには彼女らの生涯や裏工作の詳細はあまり語られていない。

後宮の女性たちの家系図をたどっていくと、近代史の出来事は教科書にあるような、単純なものでないことがわかる。天皇系と徳川宗家、さらには有力諸藩の家系は複雑に入り交じっており、革新と守旧、倒幕と佐幕、官軍と賊軍などの二項対立で説明しきれない事象は多々あった。著者は女性ならではの豊かな感性と鋭い観察眼で歴史に残った些細(ささい)な痕跡から知られざる事実を掘り起した。

天璋院は薩摩藩主島津家の一門である今和泉領主・島津忠剛の長女として生まれたが、藩主の斉彬によって次期将軍選びに大きな力を持つ大奥工作の「駒」として徳川家に送り込まれた。だが、歴史は皮肉なもので、江戸城総攻撃を目前にして、天璋院は薩摩藩とのつながりを利用して平和工作に動き出し、徳川家を存続させた。一方、仁孝天皇の第八皇女であり、家茂に嫁いだ和宮も違う方向から働きかけをした。二人の御台所(みだいどころ)がそれぞれの縁戚関係を使って、平和裏の政権移行を無事に着地させた。

徳川慶喜は「将軍になりたくない男」として知られており、倒幕派と佐幕派が交戦する最中、消極的な態度を見せた場面もあった。その理由は明らかにされていないが、慶喜をめぐる徳川の女性たちの物語を読むと、濃い謎の霧から少しずつ真相が見えてきた。慶喜の実母で、息子に大きな影響力を持つ登美宮吉子は水戸藩の出身で、かねて尊王思想に染まっていた。一方、伏見宮家の王女・徳信院直子は慶喜の祖母にあたりながら、慶喜と年齢が近く、青少年期から親しくしていた。二人は恋人関係にあったという噂(うわさ)もあったが、事の真偽はともかくとして尊王の女性たちに囲まれた慶喜は最初から朝廷との対立を嫌っていたのかもしれない。

明治維新に関係したのはむろん徳川家や薩摩藩だけではない。有栖川宮家をはじめ、本郷あたりに広大な屋敷を持つ加賀藩主前田家や、佐賀藩主鍋島家の女性たちがどのように維新という大事件に巻き込まれ、あるいは脚光を浴びたかも、姫君たちの個人の境遇を通して語られている。また、会津をはじめ東北、越後の諸藩など「負け組」の女性たちがどのような悲しい末路をたどったかは、臨場感溢(あふ)れる筆致で描かれている。

三十一人にものぼる姫君の生い立ちと運命を描くのは並大抵のことではない。彼女らの出身地は日本全国の各地に広く分布しており、しかも、女性ということもあって、記録はあまり残されていない。とりわけ、負け組の「その後」は歴史の塵埃(じんあい)に覆われることが多い。そうした困難のなかで、著者は現地に出向き、各地の記録や地域史を広く渉猟した。一次資料の収集に精力的に取り組むかたわら、先行研究の関係者に直接電話で取材するような離れ業もやってのけた。一見、何気ない記述でも、辛抱強い調査と地道な資料分析にもとづく結果であろう。おかげで明治維新の知られていない一面と、近代史を変えさせ、あるいは歴史に翻弄(ほんろう)された女性の運命を知ることができた。

[書き手] 張 競
1953年、中国上海生まれ。明治大学国際日本学部教授。
上海の華東師範大学を卒業、同大学助手を経て、日本留学。東京大学大学院総合文化研究科比較文化博士課程修了。國學院大学助教授、明治大学法学部教授、ハーバード大学客員研究員などを経て現職。
著書は『恋の中国文明史』(ちくま学芸文庫/第45回読売文学賞)、『近代中国と「恋愛」の発見』(岩波書店/一九九五年度サントリー学芸賞)、『中華料理の文化史』(ちくま新書)、『美女とは何か 日中美人の文化史』(角川ソフィア文庫)、『中国人の胃袋』(バジリコ)、『「情」の文化史 中国人のメンタリティー』(角川選書)、『海を越える日本文学』(ちくまプリマー新書)、『張競の日本文学診断』(五柳書院、2013)、『夢想と身体の人間博物誌: 綺想と現実の東洋』(青土社、2014)『詩文往還 戦後作家の中国体験』(日本経済新聞出版社、2014)、『時代の憂鬱 魂の幸福-文化批評というまなざし』(明石書店、2015)など多数。

毎日新聞 2018年11月11日掲載

張 競

最終更新:11/23(金) 7:00
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