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明治初期の受験者名簿か 伊那市の春日さん方で発見

12/1(土) 6:01配信

長野日報

 伊那市美篶下川手在住で美篶小学校学校評議員の春日利比古さん(71)方の蔵で、明治初期に美篶地区にあった学校3校の児童名が記された「生徒須席簿」が見つかった。明治8(1875)年11月7日の日付があり、同日行われた筑摩県(当時)の出張試験の受験者名簿の可能性があるという。春日さんは11月30日の美篶小学校開校117周年記念式典に合わせて、同校に文書を寄贈した。

 明治8年に同地区には視篶、維新、報国の3学校があり、「須席簿」にも3校の児童262人の名前が学校別、級別に記されている。一部の児童は朱書きで「病」と記載され、最終的な人数は239人となっていた。文書は「視篶学校控」で、当時上伊那地方の各地で出張試験を行っていた筑摩県七等出仕、渡辺千秋に提出されたものとみられる。

 美篶小学校八十年誌(1982年刊)によると、明治8年11月7日には渡辺らの一行が美篶地区で出張試験を行った記載がある。同校の山崎茂則校長は「八十年誌の記載にある子どもたちの受験を裏付ける貴重な資料になる」とし、学校で保管。隣接の資料館で公開することも検討している。

 春日さんは曽祖父が旧美篶村川手の名主だったといい、明治初期に学校世話役を務め、受験者名簿の控えを保管していたのではないか、と推測する。学校法人芝学園芝中学校(東京都)の元校長で、帰郷を機に今秋から蔵の整理をしていた春日さん。文献目録づくりをしていてたまたま見つけた文書という。「この辺りの就学率は他地区より高かったといわれる。教育に対する意識が高く、進徳館で学んだ教師に教わっていたのだと思う。開校記念で寄贈したかった」と話した。

最終更新:12/1(土) 6:01
長野日報

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