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京葉線は千葉の鉄道をどう変えたか 新木場以東の開業から30年、新プロジェクトも浮上

2018/12/1(土) 14:14配信

乗りものニュース

貨物線の計画を旅客線に変更

 京葉線のうち新木場以東の区間が開業30周年を迎えました。JR東日本 千葉支社は2018年12月1日(土)、記念セレモニーを蘇我駅(千葉市中央区)で開催。京葉線の各駅長が集合し、記念列車を見送りました。

【地図】京葉線はさらに変わる? いろいろある新線構想

 京葉線は、東京都心から東京湾の埋立地を通って千葉までを結ぶ鉄道路線です。もともとは、京浜工業地帯の川崎から京葉工業地域の木更津までを結ぶ貨物線として1967(昭和42)年に着工。しかし、産業構造の変化で埋立地が工場用地から住宅用地に変わったため、1978(昭和53)年には旅客列車も走る計画に変わりました。

 こうして1986(昭和61)年、旅客線の第1期区間として西船橋~千葉みなと間が開業。いまから30年前の1988(昭和63)年12月1日には、第2期区間として新木場~市川塩浜~南船橋間と市川塩浜~西船橋間、千葉みなと~蘇我間が開業し、新木場駅で営団地下鉄(現在の東京メトロ)有楽町線との連絡が図られました。その後、1990(平成2)年に第3期区間の東京~新木場間も開業し、いまに至っています。

 京葉線の開業から約30年が経過し、東京~千葉間の鉄道ネットワークはどのように変わったのでしょうか。最大の変化は、周辺の路線の混雑です。

 運輸経済研究センター(現在の運輸総合研究所)の『都市交通年報』などによると、総武線快速(新小岩→錦糸町)の混雑率は1987(昭和62)年度の時点で266%。いまから考えると非常に激しい混雑でした。しかし、京葉線の新木場以東が開業した1988(昭和63)年度は255%に低下。全線開業後の1991(平成3)年度には237%まで低下しています。

京葉線の開業で、成田空港アクセスも変化

 ほかにも、現在の東京メトロ東西線(門前仲町→茅場町)の混雑率が、1987(昭和62)年度の233%から1991(平成3)年度は196%に低下。京成本線(大神宮下→京成船橋)も1987(昭和62)年度の185%から1991(平成3)年度の178%と、わずかながら下がっています。

 混雑率の低下は列車の増発や車両の増結によるものもあるため一概にはいえませんが、通勤客の一部が京葉線に移ったのも大きな理由のひとつといえるでしょう。1988(昭和63)年の開業時に蘇我駅の駅長だった、もとJR東日本社員の常澄安範さんは「これ(京葉線)がなかったら、総武線はかなり厳しい状況になっていたと思います」と話していました。

 また京葉線は、一見すると関係なさそうな成田空港アクセスにも、大きな影響を及ぼしました。

 JR東日本の在来線と京成線が成田空港に乗り入れるようになったのは、京葉線の東京駅開業(全線開業)から1年後の1991(平成3)年です。このとき、総武本線から内房線と外房線に直通する列車の一部が、総武本線経由から京葉線経由に変更されました。

 先に触れた通り総武本線は混雑が激しく、京葉線が開業する前は限界ギリギリまで列車を運転していて増発の余地はありませんでした。一部の列車が京葉線に移ったことで少し余裕ができ、東京都心と成田空港を総武本線経由で直結する特急「成田エクスプレス」の運転が可能になったといえます。逆に言えば、京葉線が開業していなければJRの成田空港乗り入れは難しかったかもしれません。

 このように東京~千葉間の鉄道ネットワークを大きく変えた京葉線ですが、これで終わったわけではありません。京葉線を大きく変えるプロジェクトも構想されています。そのうちのひとつが、JR東日本の羽田空港アクセス線です。

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最終更新:2018/12/3(月) 18:13
乗りものニュース

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