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赤木春恵さんが語り遺した戦争体験「夜になるとソ連兵がやってきて…」

12/1(土) 13:37配信

BuzzFeed Japan

1月29日、女優の赤木春恵さんが94歳でこの世を去った。「3年B組金八先生」「渡る世間は鬼ばかり」「おしん」など、数々の人気ドラマや舞台で存在感を放った名優。その過去には、壮絶な戦争体験があった。【吉川慧 / BuzzFeed Japan】

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日中戦争の最中、16歳で女優の道へ。

1924年、旧満州(現在の中国東北部)で生まれた赤木さん。9歳の時、満鉄(南満州鉄道)の医師だった父が亡くなると、母とともに日本へ帰国。親戚が暮らす京都で育った。

日中戦争の真っ只中だった1940年、16歳の赤木さんは女優の道へ。「松竹ニューフェース」として映画デビューした。

翌年、日本が太平洋戦争に突入すると、旧日本軍の慰問のため各地を巡業した。

1945年2月、日本本土への空襲が激しさを増してくると、赤木さんは疎開を兼ねて生まれ故郷の満州へ戻った。当時20歳。兄が創設した劇団の座長として満州全土を慰問で巡った。

終戦時は20歳、ハルビンで玉音放送を聞いた。

1945年8月、北からソ連軍がなだれ込んできた。それから数日で日本は降伏し、満州国も崩壊した。

当時ハルビンにいた赤木さんは、身の回りの物を売って、なんとか食いつないだという。

赤木さんはNHKのインタビュー(「あの日 昭和20年の記憶」2005年9月18日放送)に当時の苦難を語っている。

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私の住んでたアパートの中でも、慌てて自殺なさる方もいらっしゃいましたよね。

街路で日本人の着物を売ると、やっぱり本当にいいものなんですよね、絹で。長襦袢なんて売れると思いませんけど、長襦袢はロシアのおばさんがワンピースにして着るんです。(中略)そういうのが売れたのが、すごく食べることに助かりましたね。
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市場で買い物をしている最中に銃声が聞こえることもあったという。

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映画みたいですよ。バンバンと銃声がなるから、ピタッと影に隠れて、両方(道の左右)を見て、ダァーッと走る。今思うと、どうしてそんなことができたんだろうと思うんですね。

(NHK「あの日 昭和20年の記憶」2005年9月18日放送)
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最終更新:12/1(土) 13:38
BuzzFeed Japan

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