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「超限戦」時代、軍事大国アメリカの迷走 - 書評「大統領失踪」

12/5(水) 9:30配信

ScanNetSecurity

 この物語は第 42 代アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンと、ベストセラー作家ジェイムズ・パタースンの合作によるサイバー冒険小説である。

 主人公であるアメリカ大統領ジョナサン・ダンカンは合衆国に対して大規模かつ致命的なサイバー攻撃が行われることを知る。アメリカ全土のインフラを破壊しかねない未曾有のサイバー攻撃だ。もし、その攻撃が実行されたら社会が機能不全に陥る。だが、防ぐ方法は存在する。

 その鍵を握る謎のハッカーが情報を提供する条件として出したのは大統領と二人きりでの面談。

 しかし、アメリカ大統領が単独でテロリスト(かもしれない)ハッカーと会うことなど考えられない。攻撃は迫っているから猶予はない。しかも弾劾につながりかねない下院特別調査委員会への出席も迫っている。もっとも慎重にならなければいけない時だ。ダンカンはあえて危険を冒し、失踪を装って単独でハッカーとの接触を試みる。

 おそらく日本での本書の受け止められ方とアメリカのそれはだいぶ違うだろう。なぜなら、ビル・クリントンは歴代のアメリカの大統領の中でも特に人気者なのだ。そしてこれはおそらく元大統領が書いた初めてのエンターテインメント小説で、主な舞台となるのはホワイトハウスだ。とりあえず読んでみたくなるアメリカ人は多いだろう。事情の違う日本でどのようにこの小説が受け止められるか興味深い。

 本書のテーマとなっているサイバー攻撃には IoT を始めとして最近の話題を取り込んでおり、それが物語の緊迫感を醸し出している。現代は文化、経済あらゆるものを兵器化して戦うハイブリッド戦の時代に突入していると言われている。2014 年のロシア新軍事ドクトリンではっきりと示された。1999 年に中国で発表された「超限戦」にはもうひとつ重要な概念が提示されている。それはあらゆるレベルでの戦争が行われるようになるということだ。従来の国家対国家だけではなく、国家対テロリスト、国家対企業といった違うレベルでの戦争だ。

 その予言を証明するかのように国際的なテロ組織がアメリカで 9.11 同時多発テロ事件を起こし、アメリカはテロとの戦争を激化させる。実は「超限戦」では国際的テロ組織によるアメリカへの大規模テロの可能性に触れており、それが実現した形になり、一時話題となった。本書に登場するテロリスト集団もアメリカをターゲットとして新しい戦争を仕掛けているのだ。

 そして本書に書かれているようにアメリカは世界有数のサイバー攻撃に弱い国家だ。


 第一にインターネットがあらゆる分野、レベルに普及しているため、サイバー攻撃を受けた時、あらゆる分野、レベルに影響がおよぶ。もちろんそこには基本インフラである電力や水も含まれる。世界をリードするネットワーク国家であるがゆえに、ネット依存度が高く、それがそのまま脆弱性につながっている。ネットが死ぬ時はアメリカも甚大な被害を被る。

 第二に、最新であるがゆえにセキュリティ技術も体制も追いついていない。日本ではアメリカのサイバーセキュリティ技術は世界最強と思い、政府関係機関および民間サイバー軍需企業は他国の追随を許さないシステムを構築しているという幻想を持っている人が少なくないが、実際にはその逆でアメリカを上回る技術やシステムを持つ国や組織は存在する。過去にアメリカ政府機関は何度も苦汁をなめている。

 世界最強であったアメリカは新しい時代に入り、ずるずるとその地位を失いつつあるのだ。本書の背景にはアメリカの置かれた難しい現実がある。さらにその背景には、自由主義と民主主義の形骸化と崩壊がある。

 その意味ではアメリカが未知のテロリストの仕掛けるサイバー攻撃で未曾有の危機に陥るという話はあり得ないことではない。

 とはいえ本書は一般の読者に向けて書かれたものなので、あまり専門的な内容には立ち入ってないし、随所に専門用語の解説が挿入されている。また、攻撃方法や攻撃のシナリオも比較的わかりやすいものに絞られている。

 そのためサイバーセキュリティに詳しい方にはいささか物足りなさを感じるかもしれない。また登場するハッカーの描き方や役割分担も首をひねる箇所がある。読んでいて、「そうか! そんな手があったか」と驚くことや、「そんな攻撃シナリオは初めて聞いた」ということはない。あくまでもわかりやすいシナリオの範囲に収められている。サイバーセキュリティとは無縁の一般の読者にとっては初耳のことも多いと思うのでエンターテインメント小説としての瑕疵ではない。

 本書の見所はなんと言ってもビル・クリントンの大統領時代の経験に裏打ちされたホワイトハウスの内情であろう。核ミサイル発射ボタンが実際にどのようなものなのかとか、状況分析室の装備、秘密の通路など。どこまで本当かわからないが、本当らしく見える。下院議長、副大統領、補佐官などとの関係も生々しい。

 そのリアリティをベースにテロリストの追跡、大統領弾劾をもくろむ下院議長との交渉、側近の裏切り、謎の女殺し屋、各国首脳との極秘会談など矢継ぎ早に物語は展開し、息つく暇がないエンターテインメント小説に仕上がっている。週末に肩の力を抜いて読むには最適の本と言えよう。

 ”失踪した”大統領と鍵を握るハッカーは無事に会うことができるのか? 会ったとして果たしてサイバー攻撃を防ぐことができるのか? 大統領とハッカーは会うことができるのだが、それは長い戦いのほんの始まりに過ぎないのだ。次々と新事実、新事件が出てきて読む手を止めることができない。

(一田和樹( Kazuki Ichida ))

最終更新:12/5(水) 9:30
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