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「西麻布のバー」が新しかった頃を知っているか

12/6(木) 6:30配信

食べログマガジン

〈僕はこんな店で食べてきた〉「西麻布のバー」が新しかったころ

始まりは1986年6月だった。

西麻布の交差点から広尾方面に5分ほど歩いた交差点の角の小さいビルの3階に「ウォッカトニック」というバーがオープンした。わずか6坪、6席ほどのカウンターとふたりがやっとのソファしかなかった。店主はA氏。東京の遊び人が当時一番通っていた「クラブD」「ブラッセリーD」でバーテンダーとして長く勤め、満を持した独立だった。

いまでは星の数ほどある西麻布のバーだが、信じられないだろうが当時は「ル・バー」や「ショットバー」など、片手で数えられるほどしかなかった。というのも、西麻布にバー文化を根付かせたのは、ウォッカトニックのA氏だったからだ。
僕は彼を高校生の頃から知っていたので、西麻布に開店することも知っていた。だが当初は、客は数えるばかり。カウンターに置かれた双眼鏡で通りを歩く女性グループを見ながら、「彼女らが入ってこないかなあ」と話していたものだ。

が、しばらくして有名カメラマン、芸能人が訪れだし、ウォッカトニックはブレイク。89年には南青山に移転し、数年して西麻布交差点近くのビル地下に移った。西麻布は駅から歩くには遠く、タクシーでしか移動できない。が、そういうところが隠れ家感をかもし出すには好都合だったんだろう。以前にも増してウォッカトニックは盛況となった。

いまも同じ場所にあるが、実は経営者はA氏ではない。その経緯は省くが、彼がかかわらなくなってからは僕もなんだか足が遠のいてしまった。バーの雰囲気が変わったわけではないが、僕にとっての「ウォッカトニック」は、やはりA氏のいたときのウォッカトニックだったからだ(この原稿が配信される前日に数年ぶりに訪れた。なつかしさもあったが、いいバーだった)。

というのも、80年代の「バー」といえばホテルか銀座や赤坂のオーセンティックなバーくらいで、あとは尾崎さんが率いる神宮前の「バー・ラジオ」くらいしか、有名ではなかった。

そんな状況の中、ホテルや銀座ほど格式ばらず、ラジオほど客を選ばないバーとして頭角を現したのが、ウォッカトニックだったのだ。店名の由来は店の名物のウォッカトニックから。トニックと言っても、トニックウォーターだけでは甘過ぎるというのが彼の持論で、実際は炭酸と半々に割っていた。

全盛期は芸能人の巣窟のような状態で、写真週刊誌にも書かれなかった数々のカップルと遭遇したし、一時は六本木ヒルズにも支店を構えた。
ウォッカトニックが流行ったのは、酒のうまさもさることながら、スタッフのホスピタリティに尽きる。それはA氏の従業員教育の賜物なのかもしれないが、サービス精神にあふれるウォッカトニック出身者は次々と独立し、この30年で西麻布、六本木など港区界隈に多くの店を作った。

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