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三浦雄一郎氏、東京五輪のアベベは「人間の原点」

12/6(木) 10:10配信

日刊スポーツ

オリンピズムは肉体と意思と精神のすべての資質を高め、バランスよく統合させる生き方の哲学である-。オリンピック憲章にある根本原則の冒頭の言葉だ。同じように「人間の身体能力と精神の限界を超えていく挑戦」を、世界中の自然を相手に体現し続けている人がいる。世界最高齢の80歳でエベレスト登頂を果たし、さらなる挑戦を続ける登山家でプロスキーヤーの三浦雄一郎氏(86)だ。来年1月に、南米最高峰アコンカグア(6962メートル)の登頂とスキー滑走に出発する三浦氏に、五輪への思いを聞いた。【清水優】

【写真】三浦雄一郎氏と次男豪太氏

新国立競技場にほど近い渋谷区内の自宅兼事務所。遠征準備に忙しい三浦氏を訪ねると、笑顔で迎えてくれた。「国立競技場がすぐそこですからね。設計した隈研吾さんに言わせると、最上階の外側に木を植えた遊歩道『空の杜』ができる。歩くのが今から楽しみですよ」。2020年大会の足音を間近で感じている。

特に、20年東京五輪では五輪初の新種目スポーツクライミングが導入される。「ボルダリングは仲間の平山ユージくん(日本山岳・スポーツクライミング協会副会長)のところに遊びに行った程度ですが、岩登りは学生時代からやっていました。日本選手が世界トップの活躍をしている。大いに期待しています」。

ボルダリング、スピード、リードの複合競技は、スピードが課題の日本人には不利とも言われるが、10月のブエノスアイレスユース五輪では土居圭太(18)が金メダル、田中修太(18)が銀メダルを獲得した。三浦氏も「やる気でやれば大丈夫」と声援を送る。

楽しみにしている2020年大会の前に、三浦氏には大きな挑戦が控えている。南米最高峰アコンカグアの登頂とポーランド氷河でのスキー滑走だ。アコンカグアは7大陸最高峰のスキー滑走の集大成の山として85年に行って以来だ。「前回、53歳の時も高山病になりながらえらい苦しんだ。86歳になって、果たしてできるかできないか。挑戦したい」。

標高は6962メートルだが、非常に風も強く、ヒマラヤの8000メートル級の厳しさがあると言われる。「登頂率30%。7割が失敗する。その平均年齢も40代の数字です。私には1万メートル級の山に感じると思います。そこに登り、滑りたいんです」。

世界中を渡り歩く冒険家の三浦氏だが、五輪との縁は浅からぬものがある。94年リレハンメル五輪、98年長野五輪出場の次男豪太氏(49)を始め、長野五輪金メダルの里谷多英氏(42)も三浦氏のスキースクール出身だ。校長を務めるクラーク国際高校の卒業生にも、14年ソチ五輪スノボ女子の銀メダリストの竹内智香(34)や06年トリノ五輪、10年バンクーバー五輪出場の家根谷依里(34)らがいる。「チャレンジすることの素晴らしさを若い世代に伝えたい」というのも、挑戦を続ける理由の1つだ。

三浦氏自身も、五輪を目指したことがあった。北大の研究職を辞め、スキーで60年スコーバレー五輪を狙った。しかし、58年の全日本選手権の出場枠をめぐる意見対立から、アマチュアスキー界を永久追放された。それでも挑戦はやめず、プロスキーヤーに転身したのが、冒険家としての出発点だった。

62年世界プロスキー選手権に東洋初のプロとして出場。「(56年コルティナダンペッツォ五輪男子スキー3冠王)トニー・ザイラーたちと滑って最高3位でした」。64年は、7月にスピードを競うキロメーターランセ(イタリア)で当時世界最速の時速172・084キロを記録した。プロスキーヤーとして世界に認知され始めたこの年の10月、東京五輪が開催された。

五輪はテレビにかじりついて見た。「戦争に負け、復興しかけてはいても、さほど世界で認知されていない日本の選手がどんどん活躍した。これから伸びる日本を象徴しているような気持ちにさせられた」。ただ、最も強烈印象に残ったのは、男子マラソン金メダルのアベベだ。「黙々と瞑想(めいそう)するように走る姿は、人間の原点のように見えた」。

大きな刺激を受けた三浦氏の挑戦は、より困難な目標に向かった。66年に富士山直滑降に成功。その後、エベレスト初登頂者のエドマンド・ヒラリーを訪ね、エベレストのサウスコル(8000メートル)の写真を見た。「スキーで滑りたい」と言うと、ヒラリーは「人間は不可能に挑戦し、越えてきた。私もその1人だ」と応援してくれたという。

70年、エベレストのサウスコルからの世界最高地点からのスキー滑降に成功し、記録映画はアカデミー賞を受賞。83年には南極のビンソン・マシフ滑降に成功。85年までにセブンサミッツ滑降を達成した。03年の70歳、08年の75歳、13年の80歳で3度のエベレスト登頂に成功し、世界最高齢記録を樹立した。

「自分の限界を超えていく。人間のまさに身体能力、精神を含めた限界を新しい時代に向けて広げていきたいんです」。80歳の登頂時には、2020年東京五輪の招致の旗も振った。五輪の精神も、三浦氏の挑戦の気持ちも、「一緒だ」と考えているからだ。

今は、目前の挑戦に向けた準備に全力を傾けている。「五輪は、帰ってきてからゆっくり楽しもうと思っています」。三浦氏は来年1月2日に南米へ向け、出発する。

■エクストリームスポーツに魅力

2020年東京五輪では、サーフィンやスケートボードなど、エクストリームスポーツのジャンルに含まれる新種目が注目されている。三浦氏もこれらの種目について「今までの五輪種目とは違う、もっと自由度の高い、チャレンジ精神のあるスポーツ。ショーアップもされていて、危険度は高いものもありますけど、世界中、地球レベルで遊び回れる魅力がある」と語った。

三浦氏のキロメーターランセ、富士山直滑降やサウスコル滑走の挑戦も、エクストリームスポーツに分類が可能。三浦氏自体が、日本のエクストリームスポーツの元祖とも言える。富士山とサウスコルで、必要に迫られてエアブレーキとして使用したパラシュートが「パラグライダー」の元になったとの逸話もあり、「はるかなる元祖みたいに言われています」と笑う。

スポーツクライミングを始め、BMXでもスケートボードでも、日本人選手が世界的な活躍を見せており、三浦氏も「楽しみです」としている。

◆三浦雄一郎(みうら・ゆういちろう)1932年(昭7)10月12日、青森市生まれ。64年に直滑降のスピードを競うイタリア・キロメーターランセで時速172・084キロの世界記録(当時)を樹立。70年はエベレストの8000メートル地点からスキーで滑降、ギネス認定。当時の記録映画は米アカデミー賞(長編記録映画部門)を獲得した。85年には世界7大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。エベレストには70、75、80歳の3回登頂。家族は妻と2男1女。次男豪太氏はモーグルでリレハンメル、長野五輪代表。164センチ、85キロ。

最終更新:12/6(木) 10:51
日刊スポーツ

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