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日産自動車問題 ゴーン氏と日韓関係の共通項

12/8(土) 9:31配信

SankeiBiz

 フランスでカルロス・ゴーン容疑者と何度か一緒に仕事をした経験や、日本の自動車メーカーをはじめ産業政策に携わった経験から日産自動車の問題を日本人の特質と関連して考えてみたい。(旭川大学客員教授・増山壽一)

 日産は永く「旗は日の丸、車は日産」「技術の日産」というスローガンの下、日本を代表する自動車メーカーとして名をはせた。故障が少ないことから医者の往診用の車として、日産車は特に有名だった。

 そんな日産が1980年代後半のバブル景気時に販売力が弱いにもかかわらず、積極的な高級車や個性的な車のラインアップを次々と打ち出し「シーマ」現象といわれるほどになった。しかし、バブル崩壊後一気に経営が暗転。99年3月、ルノーからの6000億円を超える出資を受け入れ、再生を図った。

 その請負人がゴーン容疑者だ。当時は山一証券や、日本長期信用銀行、北海道拓殖銀行などの破綻が相次いで金融不安が一気に高まった。日本の産業界に日産を救済する気力と体力を持つ企業はなかった。

 ルノーは、フランス国営企業でルノー公団といわれていた。90年に研修として、数週間ルノーの工場で働いた。驚いたのは、従業員が作業中にたばこを吸っている光景だった。

 ゴーン容疑者は、母国では労働組合の力で絶対に成し遂げられなかったような徹底したコストカットと営業努力で見事日産を復活させた。あたかも占領下のGHQのように-。

 そして日産は20年間にわたって株主ルノーに配当などの形で、何倍もの恩返しをしてきた。それに比べて本国のルノーは相変わらず労働組合も強く、非生産的のままだ。もう、十分貢献したので、いいだろう。

 「真の意味で、ウィン-ウィンな関係になろう」。そういう声が日産から聞こえてくる。

 こうした関係は、日本と韓国とのいわゆる徴用工や従軍慰安婦の問題ともつながる日本人の発想なのかもしれない。

 ゴーン容疑者と初めて会ったとき、機関銃のように数字が出てきたことを思い出す。日本人経営者がグローバルで生き残るには、相手に対して我慢して突然爆発するのではなく、常に数字を用意して反論する心構えが必要だろう。日産とルノーや日韓関係でも、我慢を重ねて突然切れる日本と思われないように常に冷静に数字を用意しておくことが大事だ。

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【プロフィル】増山壽一

 ますやま・としかず 東大法卒。1985年通産省(現・経産省)入省。産業政策、エネルギー政策、通商政策、地域政策などのポストを経て、2012年北海道経産局長。14年中小企業基盤整備機構筆頭理事。17年4月から旭川大客員教授。日本経済を強くしなやかにする会代表。56歳。

最終更新:12/8(土) 9:31
SankeiBiz

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