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デップさん主演で映画化 「ミナマタ」伝えた米国人写真家、元妻が語る「最後の勝負」

12/8(土) 8:20配信

西日本新聞

 1970年代に水俣病を世界に伝えた米国人写真家、ユージン・スミス氏(1918~78)が死去して40年。12月には生誕100年を迎え、生涯を描く映画「ミナマタ」(原題)の撮影もジョニー・デップさん主演で年明けから始まる。スミス氏の遺作となった写真集「水俣」について、共著者で、ともに熊本県水俣市の患者多発地区で暮らした元妻のアイリーン・美緒子・スミスさん(68)=京都市=は「彼にとって最後の勝負だった」と振り返った。

【写真】1971年ごろ撮影基地で仲良く食事するユージン・スミス夫妻

 71年9月、寝台特急「なは」で水俣駅に降り立った夫妻は、10日前に婚姻したばかり。スミス氏52歳、アイリーンさん21歳。前年の秋、東京の出版社経営者に水俣病の話を聞き、1年かけて準備を進めていた。

「もう体が持たない」と悟っていた

 「彼の最後の仕事だというのは、暗黙の了解で分かっていた。今までの蓄積を絞り出すんだという意気込みがあった」。太平洋戦争中、従軍カメラマンとして受けた砲弾による傷などの痛みに耐えるため、アルコールが欠かせなかったスミス氏。アイリーンさんによれば、「もう体が持たない」と悟っていたという。

 「患者が多くいる地域に住みたい」という夫妻の希望通りに住まいもすぐに借りられた。写真家の故塩田武史さんの案内で、69年提訴の第1次訴訟原告の家庭を回り、親交を深めていく。風呂場で胎児性患者の娘を優しく抱く母親を捉えた作品も、水俣に来て3カ月目には撮り終えていた。

暴行事件に巻き込まれ…

 ずっと順調だったわけではない。翌72年1月、新たに患者認定された自主交渉グループのリーダー故川本輝夫さんが、チッソ東京本社での従業員の妨害に抗議するため向かった千葉県の工場で、同行した夫妻も暴行事件に巻き込まれた。

 スミス氏の後遺症はひどく、複数の医療機関に通い続けたが、容疑者は不起訴処分に。「実際に当事者になって、チッソや権力側の振る舞いを直接体験できた」とアイリーンさん。事件を経験し、不正義に対する視点がさらに定まった。

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最終更新:12/8(土) 8:20
西日本新聞

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