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【平成昭和物語 半世紀前の秋葉原を想う ~松波無線~】秋葉原は家電の街ではなくインドアホビーの街 時代時代によって、何度でもよみがえる

12/8(土) 10:04配信

TOKYO HEADLINE WEB

 変わりゆく東京の景色。同じ場所で、今昔を見続けた人にしか分からない、その街の移ろいがあるのであれば、訊いてみたい。

「秋葉原と言えば、“家電の街”というイメージがあるかもしれませんが、そうではない。秋葉原は今も昔も“インドアホビーの街”なのです」

 松波無線がラオックスに吸収合併された際、ラオックスの常務取締役を務めた松波道廣さんは、秋葉原を知るエキスパートの一人だ。現在は、NPO法人「秋葉原観光推進協会」理事として秋葉原の未来を見据える松波さんに、秋葉原の変移を伺った――。
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「戦後まもなく米軍の放出部品を販売する露店が、神田小川町から神田須田町界隈に自然発生的にでき、繁盛しつつあった。ところが、1949年(昭和24年)にGHQの露店撤廃令により、露店商は翌年、秋葉原のガード下に移り、ラジオセンターとして生まれ変わりました。秋葉原の原点とも言える“真空管ラジオの全盛期が到来する。そして、家電の時代へと移行するのです」

 そう教えてくれたのは、中小企業診断士でありながら、NPO法人「秋葉原観光推進協会」理事を務める松波道廣さん。かつて自身の父が経営していた松波無線がラオックスに吸収合併された際は、ラオックスの常務取締役に就任するなど、秋葉原の今昔を知るエキスパートだ。

 父である松波重久氏が、表通りにあった東映無線のビルを買い取り、松波無線本店をオープンした年は、ちょうど東京オリンピック開催と同じ1964年。その2年前に、秋葉原ラジオ会館電化ビルが誕生するなど、秋葉原はラジオの街から、無線・家電の街へと変貌を遂げる最中にあった。

 日本にカラーテレビが普及した背景には、主に二つのトピックが関係していると言われる。一つは、1959年(昭和34年)4月10日に行われた皇太子明仁親王と正田美智子さまのパレードを含む結婚の儀、そしてもう一つが、1964年の東京オリンピック開催だ。前者は、カラーテレビ導入の呼び水となり、後者は一般家庭へと爆発的に普及させる起爆剤となる。それを機に、高度経済成長期真っただ中である1960年中盤、「カラーテレビ」「クーラー」「カー」の新三種の神器、通称“3C”文化が根付いていくようになる。秋葉原は神器の恩恵を受け続け、繁栄を極めていく。

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最終更新:12/8(土) 10:04
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