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川崎市岡本太郎美術館「イサム・ノグチと岡本太郎-越境者たちの日本」展

12/9(日) 7:55配信

産経新聞

 ■「非西洋」日本に立脚 世界の人々勇気づけ

 川崎市岡本太郎美術館で「イサム・ノグチと岡本太郎-越境者たちの日本」展が開かれている。来年早々にはバトンリレーのように横浜美術館で「イサム・ノグチと長谷川三郎-変わるものと変わらざるもの」展も予定される。まずはノグチと岡本を「越境者」と位置づけ、対比する本展の妙を、じっくりと味わいたい。

 ◆すぐに打ち解けて

 イサム・ノグチは1927~29年に、岡本太郎は30~40年に、パリに留学(滞在)している。1年違いで会えず、初対面は50(昭和25)年。来日したノグチの歓迎会を、岡本が幹事を務める日本アヴァンギャルド美術家クラブが主催。2人はすぐに打ち解け、仏語で語り合った。

 51年、ノグチはニューヨークで国際派女優の山口淑子と知り合い結婚。書家、料理家、陶芸家で北鎌倉に住む北大路魯山人の邸宅敷地内に居を構える。翌年、夫妻は岡本の再渡欧記念展を訪ね、54年にも北鎌倉で歓談。さらに68年、ノグチと岡本は山口(当時すでに離婚)が司会を務めるテレビ番組に出演。「週刊朝日」68年6月21日号に再録されたその貴重な対談も今回、読むことができる。

 〈岡本「自分のいるとこが世界の中心だと思わなければ、芸術にならないわけだな」 ノグチ「しかしネ、だんだん若い人が出てくるんです。四十年前、あんなにパリをよいとこだと思ったのは、僕が若かったからかもしれない。ただ、本当の芸術家はいつでも新しくていて、古くならないってことネ」 山口「サイケデリック……あれも若さの爆発ですよネ」〉

 この対談の2年後に開かれた日本万国博覧会(大阪万博)では、ノグチが人工池「夢の池」に噴水を制作し、岡本は「太陽の塔」を発表して、世界をアッと言わせている。

 ◆新たな芸術生み出す

 ノグチは51年、岐阜での鵜飼(うかい)見物がてら、伝統工芸の「岐阜提灯(ちょうちん)」と出会い、優美なフォルムとやわらかい光に魅せられる。「光の彫刻」の着想を得て、以後、「生活の中の芸術」として200種もの「あかり」を制作していく。今回、展覧会場には数々の「あかり」が、67年の岡本作品「光る彫刻」を囲んで展示されている。

 86年、ノグチはイタリアのベネチア・ビエンナーレに2作品を米国代表で出品した。和紙と竹と木でできた軽やかな光の彫刻「2mのあかり」と、これも「生活の中の芸術」である高さ約3・5メートル、重量7トンの白大理石でできたらせん状の滑り台「スライド・マントラ」(今回は模型展示)。その対比を見てほしかったとノグチは述べている。

 しかも「スライド・マントラ」は作品の中に人が入って何らかの体験をして出てくることで成立する。岡本の「太陽の塔」が胎内巡りのような内部構造になっているのと共通している。

 多様な文化に「越境」し、その影響や経験を自らの作品の中に融合させては、戦後日本の美術の大きな流れを作った個性的な2人の芸術家。同館学芸担当係長の佐々木秀憲は「悲惨な大戦の後に、世界中の芸術家は芸術が何の役にも立たなかったことを突きつけられた。そうではない新たな芸術を生み出すことで世界の人々を勇気づける。非西洋である日本に立脚しながら、岡本は主に日本で、ノグチは海外で、それをやったのではないか」とみている。 =敬称略

 (山根聡)

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 「イサム・ノグチと岡本太郎-越境者たちの日本」は川崎市岡本太郎美術館(同市多摩区枡形7の1の5)で来年1月14日まで。午前9時半から午後5時(入館は午後4時半まで)。休館は24日と1月14日を除く月曜日、12月25日と29日~1月3日。観覧料は一般1千円ほか。問い合わせは同館(044・900・9898)。

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【プロフィル】イサム・ノグチ

 1904年、米ロサンゼルス生まれ。父は英語詩人の野口米次郎、母は米国人作家のレオニー・ギルモア。幼少期は母と日本で暮らし、13歳で単身渡米。27年、パリ留学。31年に来日。第二次大戦中、米アリゾナ州の日系人強制収容所に志願して入所。50年に再来日。51年、山口淑子(李香蘭)と結婚し、北鎌倉の北大路魯山人の邸宅敷地内に住居兼アトリエを構えるが、その後、離婚。60年代末以降、ニューヨークとともに香川県牟礼町(現・高松市)を制作拠点とした。家具、照明、陶芸、庭、公園などを幅広く制作。88年に死去。

最終更新:12/9(日) 7:55
産経新聞

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