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銭湯は明治20年まで混浴だった!

2018/12/24(月) 7:20配信

ニッポン放送

黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に、庶民文化研究家の町田忍が出演。日本の銭湯文化について語った。

黒木)今週のゲストは庶民文化研究家の町田忍さんです。
銭湯の存在というのはどのように捉えていらっしゃいます?

町田)やはり人と人とのコミュニケーションの場で、まだどうにか2,900軒残っている、そういう文化。最後の砦ですね。簡単に言うと、浮世の垢を落とす場所と僕は言っているのですが。日本の銭湯文化は欧米と違って、体の汚れを落とすという機能が強い。日本は、体の汚れを落とすのが半分、あと半分はメンタルな、浮世の垢を落とす文化です。日本の温泉を含む入浴文化はとても重要な文化です。そういうものをしっかり研究して、オリンピックも近いので、海外の方にもわかって頂きたいと思っています。

黒木)海外にも温泉はあると聞きますが、入り方が違うのでしょうか?

町田)どちらかと言うと、向こうは医療的な要素が割と強いです。かつてギリシャなどでは、テルマエ・ロマエみたいなものがありましたが、その文化がこれだけ身近で残っているのは、世界で日本が最後です。東京で言うと最盛期、昭和43年で都内2,600軒です。いまより2,000軒多かった。町内に1軒ですよ。

黒木)皆さんが町内で入りに行っていたということですか?

町田)そうです。江戸時代も最盛期800軒だったのですよ。江戸は八百八町と言って、だから当時も殆ど町内に1軒あったわけです。

黒木)皆で裸の付き合いをして。

町田)江戸時代は混浴でした。混浴だったのですが、外国から指摘されて別浴になったのですね。何回も禁止令が出て。結局、明治20年まで混浴は残っていました。

黒木)いま聞いたらびっくりしますね。

町田)庶民は銭湯でお見合いもしていました。情報交換の場でもありましたし。

黒木)ちょっと信じられませんけれども、そうだったのですね。明治20年位までは混浴だったと。

町田)はい。

黒木)日本人はお風呂というものをとても大切にしていたのですね。

町田)いまいろいろな災害がありますよね。よくニュースで見るのですけれど、皆さん2、3日目で何かありますかと聞くと大体、「お風呂に入りたい」と言います。それだけ日本人はお風呂と密着した生活を送って来たのです。欧米で災害があっても、お風呂に入りたいとは言いません。その辺がやはり日本人の独特の入浴文化ですね。

黒木)コミュニケーションと言うものを大事にしていたのでしょうけれども、その銭湯が少なくなっています。すると、その地域のコミュニケーション不足みたいなものも出て来ているのでしょうか?

町田)いまは買い物でも一言も喋らずにできますし、会話をする場がどんどん減っていますね。さっきも言いましたが、やはり銭湯が最後の砦みたいな感じで、まだ身近にある。そういう意味でも、もう少し注目していただきたい文化ですね。

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最終更新:2018/12/24(月) 7:20
ニッポン放送

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