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桂歌丸さん、得意ネタ「つる」との不思議な出会いと、後輩へのメッセージ

2018/12/29(土) 11:03配信

スポーツ報知

 2018年も残すところあとわずか。今年も多くの方々が、その生涯に終止符を打ちました。落語家・桂歌丸(本名・椎名巌=しいな・いわお)さんは7月2日に慢性閉塞性肺疾患で亡くなりました。享年81歳。スポーツ報知では、知られざるエピソードとともに、故人をしのびます。

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 最後まで現役にこだわった人だった。ここ数年は肺炎などで入退院の繰り返し。楽屋でせき込み息苦しいそぶりを見せたこともあったが、高座では一切感じさせなかった。ある時言っていたことがある。「目をつむる瞬間に楽になりたいから、それまで苦しい思いをするんです」。「笑点」の司会勇退の時も気落ちしているかと思いきや、楽屋で「まだまだやりたい噺(はなし)があるんです」と熱く語っていたことを思い出す。

 丁寧な人だった。前座に声をかける時も“さん”付けで呼び、「ありがとう」とお礼を言った。正月の初席の楽屋で前座がお茶をぶちまけ、歌丸さんの高価な着物が台無しになった時も、怒らなかった。

 後輩の窮地を救うのも粋だった。家賃が払えない後輩から、あえて噺を教わった。稽古を付けてもらったお礼といって、家賃を立て替えた。教わった噺は、後に歌丸さんの得意ネタとなった「つる」だった。

 晩年は、孫ほどの年齢の若手に目をかけていた。二ツ目・柳亭小痴楽(30)は「ちー坊」と呼ばれかわいがられた一人だ。「ボクのスケジュールを把握してくれていて、会う度に『どうだった?』と。でも、こうしろ、ああしろとは一切言わなかった」。小痴楽が二ツ目11人でユニット「成金」を組むと「出しなよ、オレを」とゲスト出演で支援。自身の会にも積極的に若手を呼んだ。

 落語芸術協会の会長として、2004年の新潟中越地震、11年の東日本大震災では率先して被災地で落語会を行った。「お金は受け取れません」。全てノーギャラだった。

 歌丸さんの告別式が終わると、遺族から協会に数百万円の香典の寄付の申し出があった。“歌丸基金”として、後進の育成に生かす道を検討している。

 病と闘いながら噺家としての生涯を貫いた歌丸さん。その矜持(きょうじ)は、後輩たちに受け継がれていくはずだ。(高柳 義人)

最終更新:2018/12/29(土) 11:09
スポーツ報知

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