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井上拓真の兄弟世界王者奪取を支えた家族の絆…突き上げた両手を父が下げさせた理由

2018/12/31(月) 7:07配信

THE PAGE

ボクシングのトリプル世界戦が30日、東京の大田区総合体育館で行われ、WBC世界バンタム級暫定王座決定戦では、WBA世界バンタム級王者、井上尚弥(25、大橋)の実弟である拓真(23、大橋)が3-0の判定で同級2位のペッチ・CPフレッシュマート(25、タイ)に勝利、世界初挑戦でベルトを奪取した。兄弟での世界王者は日本人としては亀田3兄弟に続いて2組目。正規王座の決定戦が来月19日に米国で行われるが、その勝者と拓真は来年に統一戦を戦うことになる。

兄が耳打ちした「人生をかけていけ!」

 青コーナーの下。
 松脂をシューズに塗りこむ場所で兄が弟の耳元で言った。
「人生をかけていけよ!」
 前日も計量後に横浜市内で一緒に食事をした。
 心配する兄は、弟にそのときも同じような話をしている。
「いよいよだな。ベルトを取る、取らないで人生が変わってくるぞ」
 幼い頃から、ひとつ屋根の下で世界を目指した。ずいぶんと先を行った兄の言葉には重みがある。

 ゴングと同時に仕掛けた。まるで、ここまでの思いを爆発させるかのように。
 サウスポースタイルのタイ人に対して、左のリードパンチで様子を見て、いきなり踏み込んだ右ストレートが当たる。体が横を向くほどのダメージを認めると、すかさず右フックから左ストレートへとつなげた。
「足に来ていたのがわかっていた。チャンスがあればいかなきゃと」
 ラッシュをかけた。
 兄はWBSSの初戦となるファン・カルロス・パヤノ戦で鮮烈の70秒KO勝利。
「意識しますよ。兄弟なんで。尚以上のインパクトを残すことは難しいんですが、そこに少しでも近づけたらいいと」
 一瞬、大橋会長の脳裏にも「1ラウンドKO」の新聞見出しが躍ったという。
 だが、偉大なる兄を超えなければならないという重圧や意識が、いらぬ力みに変わり、早々に訪れたKOチャンスに空回りしてしまった。
「インパクトのある試合をしたいと思った。いきすぎて大振りになってうまく当てられなかった」
 しとめきれずにスタミナをロス。
 大橋会長も、試合後、「俺が会見でよけいなことを言っちゃったからね。兄以上のインパクトとなると60秒だから」と反省していたが、それも、またモンスターと呼ばれる兄を持った弟の宿命。

 2ラウンドもノーモーションの右ストレートを軸に攻勢を続けたが、1分50秒過ぎに顔面と顔面が正面衝突するアクシデント。鼻の上が切れ涙が出た。
「痛えよ」。思わずコーナーにいる父に嘆く。
 この偶然のバッティングで序盤に作りかけたペースが乱れた。
「1ラウンドは驚いた。海外の試合は初だしドキドキしていたから」
 度肝を抜かれ、我を忘れていたタイ人も落ち着きを取り戻し、果敢に前へ前へとプレッシャーをかけてくる。拓真も、その前進力に耐え切れず下がる展開。
「気持ちが強いんで。あそこで負けまいと出ちゃうと相手の土俵になる」
 父の真吾トレーナーは、そのスタイルを支持していたが、真っ直ぐに下がりロープを背にして左右への動きがない。接近戦では右アッパーから左フックで対抗したが、どこか中途半端で守勢に回る危険も伴っていた。

 兄がインターバルに声をかける。
「普段のスタイルへ戻したほうがいい」
 6ラウンドに入って拓真のボクシングに変化が見られた。
 足を使い、サイドステップを踏みながら、ペッチの打ち終わりにショートパンチを合わせた。長いパンチはブロック、近いパンチはダッキングをうまく使い、ほとんどのパンチを殺しながら、相手の隙を見つけて打ち込んでいくスタイルである。
「相手に付き合ってズルズルといったけれど、中盤以降は、足を使ってポイントをしっかり取るスタイルにうまく切り替えられた」
 試合後の拓真の回想。
 
 48戦無敗のタイ人は、それでも果敢に前に出てきて手数を繰り出すが、スピードとパワーに欠けて策らしい策がない。それも拓真には追い風だった。

 8ラウンドが終わった時点での公開採点は「77-75」「78-74」「79-73」。
 9ラウンド、10ラウンドと続けてラウンドの終わりにKOチャンスが訪れた。右ストレートがヒット。ペッチの動きが止まったのだ。しかし詰め切れない。
 場内からは「兄貴を越えるんだろ!」という檄が飛んだ。
「あそこは、いきたかったですが、いけなかった。相手を警戒しすぎた」

 兄は「効いていた場面もあった。倒せるタイミングもあった。でも、倒して損ねた。中盤以降、ペースを戻したけれど、初の世界戦。(想像以上の)スタミナを使うんです。ペース配分が難しい。自分も最初の世界戦では、6ラウンドでへばった。独特の雰囲気がある」とかばった。

 それが世界戦と言う特別なリングの罠。緊張や力みが想定以上の負荷となって肉体に襲いかかってくるのである。
「できることはすべてやりたかった」と、もう後のないペッチは、11、12ラウンドと、右構えにスイッチしてきた。いちかばちかの覚悟で必死に追ってくるが、拓真は、ロープを背に右へ左へと動きを止めずに“圧”を逃がす。ラストラウンド。リングサイドの兄はもう立ち上がっていた。

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最終更新:2018/12/31(月) 9:03
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