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桑田佳祐の頬に残された「偉大なキスマーク」 サザンが紅白で見せた夢舞台

1/6(日) 7:01配信

BuzzFeed Japan

平成最後のNHK紅白歌合戦。大トリのサザンオールスターズのステージは、歌手別で最高となる45.3%の瞬間視聴率を記録し、多くの人々の心に深く刻まれた。

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「希望の轍」に続いて披露された「勝手にシンドバッド」では、桑田佳祐、北島三郎、松任谷由実という、昭和から平成にかけての音楽史を代表する巨頭が並び立った。

ユーミンは桑田の頬に口付けし、「胸さわぎの腰つき」の歌詞に合わせて、桑田とふたり妖しく腰をくねらせてみせる。

「偉大なキスマークですよ」

本番を終えた桑田は、右頬に残された「ルージュの伝言」に手を当て、気恥ずかしそうに笑った。【BuzzFeed Japan / 神庭亮介】

「国民的バンド」の看板

「国民的バンド」という言葉で検索をかけると、サザンの記事がずらりと表示される。有名バンド、人気バンドは数あれど、「国民的」の看板を引き受けられるバンドはそうそうない。

そんなバンドが、紅白という日本最大の音楽の祭典を締めくくる。

それだけ聞くと至極当前のことのように思えるが、サザンの歩んだ40年の足跡を振り返れば、決して「当たり前」ではなかったことがわかる。

1978年に「勝手にシンドバッド」でデビューした当時、サザンは間違いなく異端児であり、亜流の存在だった。

沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンク・レディーの「渚のシンドバッド」を掛け合わせた奇抜なタイトル。

「何を言っているのかわからない」と言われた速射砲のようなボーカルも相まって、コミックバンド扱いされた。

「ザ・ベストテン」(TBS系)の出演時、黒柳徹子の呼びかけに、上半身裸でジョギングパンツ姿の桑田が「目立ちたがり屋の芸人で~す!」と答えた場面はいまだに語り草になっている。

「切なさの日本基準」

サザンが実力派ミュージシャンとしての地位を確立するまでには、翌年の名バラード「いとしのエリー」の発表を待たねばならなかった。

一音にいくつもの言葉を詰め込む譜割りや、日本語詞に英語のような響きを持たせる桑田の作曲術は、日本語ロックの文法を革新し、後続のアーティストたちにとってのスタンダードとなった。

「さよならベイビー」(1989年)、「涙のキッス」(1992年)、「TSUNAMI」(2000年)、「東京VICTORY」(2014)など、サザンは80、90、00、10年代と4つの年代を股にかけてシングル1位を獲得。

40年にわたって、常に一線を走り続けてきた。音楽評論家の渋谷陽一は、サザンを「切なさの日本基準」と評する。

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最終更新:1/6(日) 12:03
BuzzFeed Japan

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