ここから本文です

クルドはまた裏切られるのか ちらつく“トランプ流ディール”

1/10(木) 8:15配信

産経新聞

 トランプ米大統領が昨年12月19日、シリアから米軍を完全撤収させることを表明した。これに最も衝撃を受けたのは、シリアでイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)との戦闘で米軍と共闘してきたクルド人勢力だ。米軍が去れば、トルコが敵視するクルド人勢力への攻撃を強める可能性があるからだ。28年前の湾岸戦争時に独立国家建設の夢を託して米軍に協力し、イラクで武装蜂起したものの裏切られ、フセイン政権に無慈悲に鎮圧されたクルド人がトランプ流「ディール(取引)」でまた犠牲を強いられるのか。(外信部 佐渡勝美)

 ■2件の「取引」

 「(米軍の撤収は)背中をナイフで刺すような行為であり、多数の殉教者への裏切りに他ならない」

 ロイター通信によると、米軍の支援を受け共闘してきたクルド人主体の民兵組織「シリア民主軍(SDF)」はトランプ氏の表明を受けて12月20日、これを非難する声明を出した。

 トランプ氏はツイッターでISを打倒したと主張し、米軍シリア駐留の「唯一の理由」がなくなったのが撤退理由だとしたが、このタイミングでの撤退表明はトルコの意向を受けたものであることは明白だ。

 トルコはシリアのクルド人勢力を、自国で分離独立運動を展開する非合法武装組織「クルド労働者党(PKK)」の分派とみなし、米軍が共闘するのは看過できないとしてきた。クルド問題は米トルコ間の重大な懸案事項になっていた。

 米軍撤退表明でその懸案が除かれようとしているが、背景にはトランプ氏とトルコのエルドアン大統領との間で「取引」があったとみられる。

 2人は20カ国・地域(G20)首脳会議出席に合わせて12月1日にブエノスアイレスで会談し、同14日には電話協議を行った。一連の接触で米軍シリア撤退の取引材料になったとみられるのが、(1)サウジアラビア人著名記者殺害事件でのトルコの追及(2)地対空ミサイル「パトリオット」の売り込みだ。

 ■トルコの高い諜報力

 10月2日にトルコ・イスタンブールのサウジ総領事館で起きたサウジ人記者、ジャマル・カショギ氏殺害事件は、エルドアン氏にとって取引に使える強力なカードとなった。無論、トルコが事件の全容をほぼ把握し、確かな証拠もつかんでいることが前提となる。

 トルコの諜報力は中東ではイスラエルと並び、突出して高い。ISに関してもトルコが持つ情報の確度は、欧米やロシアより各段に高い。サウジ総領事館に盗聴器や隠しカメラを巧妙に仕込むことなど朝飯前といえる。

 トランプ政権は中東政策の軸にサウジを据え、サウジのムハンマド皇太子に肩入れしてきた。トルコは記者殺害事件にムハンマド皇太子が関与したことを示唆する証拠を次々と出してきたが、12月以降、ぴたりと止まった。シリアからの米軍撤退を条件に、トルコが事件の責任追及をやめる取引をしたとしても何ら不思議ではない。

 ■パトリオット35億ドル

 米国務省は12月18日、パトリオット(PAC3)の改良型「PAC3MSE」60発などを総額約35億ドル(約3900億円)でトルコに売却する方針を承認し、議会に通知した。米紙ワシントン・ポストは、この売却承認と翌日の米軍撤退表明には「明らかに関連性がある」と指摘している。

 昨夏まで米国との関係が冷え込んでいたトルコは北大西洋条約機構(NATO)加盟国でありながら、ロシアから地対空ミサイル「S400」を総額約25億ドル(約2800億円)で今年から導入する予定でいる。トルコのS400購入計画には、トランプ政権がNATOの兵器システム情報がロシアに漏れるとして猛反対している。

 トルコはまだ、パトリオットとS400のどちらを購入するか明言していないが、米側が商談をまとめようと攻勢をかけているのは間違いない。

 ■再びの悪夢か

 トランプ政権に見捨てられつつあるクルド人勢力は昨年暮れ、SDFを標的にシリア北部への越境攻撃拡大の構えを見せるトルコ軍に対抗するため、シリアのアサド政権軍に北部の要衝、マンビジへの進軍を要請した。シリア内戦でクルド人勢力は、政権とも反体制派とも距離を置いてきただけに、政府軍への支援要請は異例の事態だ。

 クルド人にはかつて米国に裏切られたトラウマがある。米軍を主体とする多国籍軍がイラクに占領されたクウェートを解放した1991年の湾岸戦争時、ブッシュ(父)米政権はイラク北部のクルド人居住地域に大量の中央情報局(CIA)要員を送り込み、イラク・フセイン政権の転覆をもくろんでクルド人勢力に武装蜂起の準備をさせた。

 将来の独立国家建設への支援や、望むなら米国への亡命も保証するとしたが、約40日の戦闘でクウェートが解放されると、米政府はフセイン政権打倒から当面の存続容認に方針を変えた。フセイン体制の重しを残した方が地域の安定には好都合と断じたからだった。

 湾岸戦争停戦直後の91年3月、クルド人勢力は武装蜂起したが、信じていた米軍の支援はなく、フセイン政権軍に鎮圧され、容赦のない報復を受けた。数万人が犠牲となり、約200万人のクルド難民がトルコやイラン国境にあふれた。

 ■マティス氏の叫び

 当時、米海兵隊の第1大隊長として湾岸戦争に従軍したマティス前国防長官は、この悲劇の一部始終を直に見ていた。

 トランプ氏の米軍シリア撤退表明に抗議して昨年12月20日に辞任を表明したマティス氏は、トランプ氏に宛てた辞任に関する書簡の中でこう綴った。

 「米国の国家としての強さは、同盟国や友好勢力との他に類を見ない強固なつながりと密接に関係している。私は常にこの信念を抱いている」

 取引も結構だが、信義にもとるようでは米国の強さも危うい-。そう訴えたのだった。

 ■クルド人 「国家を持たない世界最大の民族」として知られる。第一次世界大戦後に英仏によって中東地域に引かれた国境線で居住地がずたずたに切り裂かれ、約3000万人がイラン、イラク、トルコ、シリア、アゼルバイジャン、アルメニアの6カ国にまたがる約29万平方キロメートル(日本の約76%)の山岳地帯に暮らす。各国内では少数派として苦渋の歴史を歩まされ、民族的権利や独立を求める動きは、中東の近現代史の大問題となってきた。

最終更新:1/10(木) 8:15
産経新聞

あなたにおすすめの記事