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震災後の「親子でボタンつけ」授業に怒り  自分たちの体験を次に生かす大切さ〔陸前高田市長〕

1/11(金) 17:12配信

時事通信

 岩手県陸前高田市の復興をけん引してきた戸羽太市長。そのスタートは過酷なものでした。市長に就任した直後の2011年3月、東日本大震災で奥さまを亡くされ、お子さんたちを親戚に預け、復興に取り組みました。

 震災から8年になろうという今、同市では復興住宅の建設が進んでいます。その中で、最初から復興に携わってきた市長が感じていること、今後の震災に備えて必要だと考えていることを伺いました。(聞き手・文 医師・海原純子)

 ◇経験しないと分からないこと

 ――震災の記憶が次第に遠くなる中、陸前高田の復興を通して体験されたことをお聞かせください。

 初めに心配したのは、子どもたちのことです。親を亡くした子どもが心配でした。2011年当時、親を亡くして孤児になった子どもは40人ほど。片親を亡くした子どもは150人にも上りました。私も妻を亡くしたわけですが、うちの子の落ち込み方を見ているから、他の子もそうだろうと思うと、本当に気持ちが重くなるわけです。

 私自身は市長をしているので、経済的に困窮していないわけですが、みんな、経済的な不安もあるし、家族を亡くしている。これをどうやって乗り切るのだろう、と呆然とした気持ちになりました。

 3月の震災の後、学校は5月くらいから始まることになったんですが、私はその時、こんな状況で学校を始めていいのだろうか、と教育委員会と議論したんです。こんな状態で学校に行けるのか、と。子どもは毎日、泣いて暮らしているわけですから。でも、不思議なんですよね。学校が始まると、子どもたちは元気になるんです。

 ◇学校で元気を取り戻す子どもたち

 ――みんながいるし、顔を合わせる場があるのは大事なんですね。

 泣いてる時間がないんです。こういうことは経験しないと分からない。うちの子と同じように、お母さんを亡くして泣いている子に「学校へ行って来い」なんて言うのは酷で無理だ、と思っている人はたぶん多いと思う。でも、そうじゃないんですね。「学校というのは、すごいなあ」と思いましたね。

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最終更新:1/11(金) 17:41
時事通信

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