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山から見守り2万3000回 被災の聴覚障害86歳 阪神大震災24年

1/12(土) 12:39配信

毎日新聞

 阪神大震災で傷ついた神戸の街が再生する姿を、聴覚障害のある山村賢二さん(86)=神戸市灘区=が山から見守り続けている。19歳から始めた六甲山系・再度山(ふたたびさん)(標高470メートル)への登山は2万3000回を超え、時には展望台から街を見渡す。耳が不自由で震災直後は孤独も味わった。戦災や水害、震災を乗り越えた街に励まされ、山村さんは山へ向かう。

 山村さんは5歳のころ、はしかで中途失聴に。ろうあ学校に通った後で就いた縫製の仕事は座る時間が長く、健康のため再度山に登り始めた。中腹の燈籠(とうろう)茶屋(標高約150メートル)までの景色にひかれ、愛好家らの団体に参加。登山記録を付けるのが日課となった。「聞こえる人の記録を超え、ろう者の自分の存在を分かってほしい」との意地もあった。

 美しい自然は突然牙をむく。1961年6月に神戸で約30人が死亡した集中豪雨の後は、倒木が道をふさいで橋も壊れ、街は土砂に埋もれた。

 95年1月17日未明。いつも午前4時半に起床するが、たまたま1時間遅れた。神戸市東灘区の自宅で揺れに襲われた。ふと戦時中の母の教えが頭をよぎった。「あなたは聞こえないから空襲の時は一人にならず家族といなさい」。2階で寝ていた妻妙子さん(84)の元へと急ぐ。ガラスの破片が足の裏に突き刺さる。2人とも聴覚障害があり、暗くて手話が使えず妙子さんの手のひらに「ガラス」と書いて身の危険を伝えた。

 自宅は全壊。避難所の学校では被災者が頼ったラジオも聞こえない。校内放送も届かず配給の列に並び遅れ、十分な食事をもらえないこともあった。ボランティアが来るまで手話通訳者がほとんどおらず、不安で孤独だった。

 震災2日後、避難所近くの一王山(標高約150メートル)に登り始めた。「足は痛んだが、つらい気持ちを忘れられた」。夏には仲間を求めてまた再度山に登るようになった。

 「空襲後のよう。ビルは倒壊したまま。さみしくてつらかった」。展望台からの街は一変し傷痕は想像を超えていた。それでも、登る度に街は息を吹き返していった。倒壊した教会のレンガは積み上がり、ビルも空へと伸びていく。2006年には神戸空港が開港、飛行機も発着するようになり、見ていて頼もしかった。「震災前よりも街が大きくなった。元気な神戸であり続けてほしい。私も負けない」【待鳥航志】

最終更新:1/12(土) 12:43
毎日新聞

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