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沖縄県民投票は千載一遇のチャンス

1/13(日) 9:31配信

毎日新聞

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)を移設するための名護市辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票を巡り、実施に必要な補正予算案を否決する市町村議会が全41市町村のうち6市1町に上った(2018年12月25日現在)。普天間を抱える宜野湾市議会では否決の理由が「賛否の2択では割り切れない。県民投票は市民を分断する」とされた。背景にあるのは、県内移設が条件であるがゆえに沖縄が抱え続ける普天間問題の難しさそのものだ。

 9月の県知事選で玉城デニー知事が安倍晋三政権が支援した候補に約8万票差をつけて当選したことを「辺野古反対の民意」と単純に意義づけてよいかどうかが問われる事態といえる。知事選で政権が支援した候補は辺野古の賛否を示さず争点化を避けており、辺野古埋め立ての賛否を直接的に問う県民投票を実施する意義はかえって浮き彫りになったと考える。

 県民投票は、翁長雄志前知事時代から、国との法廷闘争の中で「辺野古反対」の民意をより明確に示すため、知事周辺で検討されてきた。しかし、翁長氏を支える保守・革新共闘の「オール沖縄会議」としては、検討の結果、県民投票への取り組みを断念した。「政権寄りの首長は県民投票に協力しないのではないかという懸念があり、まとまらなかった」(自治労関係者)からだった。

 翁長氏を支える政治勢力が二の足を踏む中、実現の原動力となったのは、沖縄の将来をどうすべきかについて議論を深める機会にしようと県民投票の勉強会を重ねてきた宜野湾市出身の大学院生、元山仁士郎さん(27)ら学生や弁護士など有志の集まりだった。翁長氏が初当選時に公約に掲げた「辺野古埋め立て承認撤回」を後押しする狙いもあった。オール沖縄会議で、県民投票に積極的な県内小売り・建設大手「金秀グループ」の呉屋守将会長が「断念」に反発し共同代表を辞任したと知ると、元山さんは呉屋氏に面談を求め、共に県民投票実現を目指すことで一致。4月に「県民投票の会」を発足させ、元山さんが代表に就任した。

 5月から条例制定請求に向けた署名集めを始め、メンバー約40人が中心となって街頭で署名を呼びかけた。すると県民投票に慎重姿勢だった翁長氏支持組織の自治労も協力を決め、翁長県政誕生の原動力となった「島ぐるみ会議」の各市町村組織も動いた。元山さんは特に離島での対話を重視し、宮古、石垣、西表、与那国、渡名喜、渡嘉敷、北大東、南大東の8島に足を運んだ。2カ月間で集まった署名は県内有権者の約8%に当たる約10万人分。41市町村全てで条例制定請求に必要な有権者の2%以上に達し、最も割合が多い渡名喜では約3割に上った。既存の政党や組織の主導ではなく草の根から始まった条例制定を求める全県的な運動が、分裂状態のオール沖縄を同じ目標に向かわせる「懸け橋」の役割を果たす形となった。

 その後、翁長氏の急逝に伴い前倒しされた知事選で「玉城氏を知事候補に」と最初に声を上げたのも、元山さんら若者グループだ。知事選について考えようと約10人が集まり、「知事候補には玉城氏か呉屋氏がいい」との結論が出て、翁長氏を支える県政与党や団体でつくる「調整会議」に文書で提案した。玉城氏が立候補を表明すると、県民投票に関わった10代、20代の若者の多くが玉城氏陣営に加わり、最終的には60人くらいになったという。

 「普天間の危険性除去は県民の総意だ。私も普天間のそばで育って実感しています。県民投票は普天間を固定化したいということではなく、日米安保や海兵隊の必要性を含めて全国で議論してほしいと問題提起するためです」。12月11日、元山さんは宜野湾市議会議長や与党議員と面会し、県民投票の必要性を訴えた。

しかし松川正則市長は市議会での補正予算案否決を受けて25日、「議会の意思は極めて重い」と不参加を表明した。同市では条例制定請求に必要な署名数の約3倍に当たる4800超の署名が集まっており、元山さんは「普天間の危険性除去のために辺野古移設が必要と考えるなら、賛成の投票を呼びかける運動をすればよい。投票権を奪うのはおかしい」と話した。

 普天間移設を巡る住民投票は過去1度だけあった。1997年に名護市で行われた、普天間返還に伴う代替海上ヘリポート建設の是非を問う市民投票だ。条例制定を請求した市民団体の事務局長を務めた仲村善幸さん(71)は当時をこう振り返る。

「私たちの案は『賛成』『反対』の2択だったが、(当時の)比嘉鉄也市長が提案した『環境対策や経済効果が期待できるかどうか』の条件を加えて4択とする修正が議会で通った。市は条件付き賛成派と反対派に二分され、公職選挙法の適用外だからと街中で何百人も集めて堂々と飲み食いさせたり、防衛施設庁の職員がビラを持って戸別訪問したりしていた」。結果は条件付き反対を含む反対票が過半数を占め、条件付き賛成を含む賛成票を上回った。しかし比嘉市長は移設受け入れを表明し、辞任した。

 それ以来、普天間問題を巡って国政、県政は先送り、投げ出しの連鎖だ。当初は「撤去可能な海上ヘリポート」だったが、「期限付き軍民共用空港と政府の沖縄振興策をセットにする」と公約した稲嶺恵一知事(当時)の下で、国と県、名護市が辺野古沖埋め立ての計画を決定した。それが反対運動で頓挫すると、2006年の米軍再編で辺野古沿岸部を埋め立ててV字形の滑走路を造る計画に変わった。自らの公約と大きく異なる計画変更に、稲嶺氏は反対に転じて3選出馬を断念。後継の仲井真弘多知事も計画の変更を政府に求めた。09年に誕生した民主党政権は「最低でも県外」を実現できず「やっぱり辺野古しかない」と鳩山由紀夫首相が辞任し、仲井真氏は10年の知事選では「県外」を公約したが、安倍政権の下で13年に辺野古埋め立てを承認し、14年の知事選で翁長氏に敗れた。政府が「沖縄の過重な基地負担を軽減する」と言いながら、当の沖縄県内に新しい基地を造る不条理を、知事が県民に納得させることの難しさの表れだ。

 県民投票条例案を巡る県議会の審議では、玉城氏を支える県政与党が「賛成」「反対」の2択を提案したのに対し、自民など県政野党は「やむを得ない」「どちらともいえない」の選択肢を加えた4択を提案し、与党提案が賛成多数で可決された。与野党が歩み寄って全会一致の結論が出ていれば、今の事態は避けられたのかもしれないが、野党側は「2択で実施すれば7、8割が反対だろう」(自民県議)、与党側は「賛成の方が多くなるかもしれないという危惧もある」(オール沖縄関係者)と、「勝ち負け」を気にする本音がのぞく。

 いくつもの偶然が重なって行われることになった今回の県民投票は、数々の選挙で与野党の思惑に左右されてきた、普天間県内移設の賛否を巡る沖縄の民意を明確に示す千載一遇のチャンスだ。予算案を否決したのは宮古島市▽宜野湾市▽沖縄市▽石垣市▽糸満市▽うるま市▽与那国町。与那国町は昨年12月26日、投票を実施すると県に伝えた。2月24日の投票に向け、県は首長の判断で予算を計上するよう説得を続ける方針だが、6市全てが投票に参加しなければ、約36%の有権者が県の条例で認められた投票権を行使できない計算になる。県民投票に勝ち負けはない。沖縄が過重に背負ってきた国の安全保障政策のあり方について国民的議論を喚起したいという若者の思いに応えることこそ、政治の役割ではないだろうか。【上野央絵・毎日新聞オピニオングループ編集委員】

最終更新:1/13(日) 9:31
毎日新聞

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