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「日本語が通じると……」 軽い気持ちで渡ったメキシコ、亀田和毅の「完全アウェー」修行の日々

1/13(日) 9:28配信

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激しい打ち合いを制し、世界チャンピオンに返り咲いた亀田和毅(27)が、勝利インタビューで真っ先に口にしたのは対戦相手への敬意だった。

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「すごい、いい選手でした」

すっきり刈り上げた黒髪に、完璧に鍛えた肉体。昨年11月、東京の後楽園ホールで行われたWBCスーパーバンタム級暫定王座決定戦。対戦相手のアビゲイル・メディナ(スペイン)を巧みにかわして鋭いパンチを浴びせる姿には、かつて日本中を敵にした「亀田3兄弟」のイメージはなかった。

控室に戻った後も和毅は相手を思いやった。「あいつもおれと一緒で、15歳でおれはメキシコ、あいつは(ドミニカ共和国から)スペインに行って、その気持ちがありましたね。このアウェーの日本に来て、最後まであきらめんと前に出て、すごいやつですよ」

日本中に吹き荒れた「亀田叩き」

父親による熱血指導で世界チャンピオンをめざす大阪・西成の3兄弟。「亀田3兄弟」が格好の素材としてテレビに持ち上げられるようになったのは、和毅が子どものころ。2006年に長兄の興毅が挑んだ初の世界戦の視聴率は40%を超えたが、微妙な判定で王者になると、放映したTBSなどに抗議が殺到。そこから、父・史郎の型破りな教育や兄の挑発的な態度に非難が噴出し、「アンチ亀田」は社会現象になった。

まだ15歳だった三男坊の和毅にも、世間は容赦なかった。「才能は3兄弟で一番」と言われ、中学卒業後はアマチュア選手として08年の北京五輪をめざすつもりだったが、アマ側は歓迎せず、和毅のヘアスタイルまで問題にした。「これでは五輪は無理や」。父が和毅のために考えた道は海外だった。「和毅ならやれる。性格が完璧やから、一人でどこへ行っても、自分がやるべきことを分かってる」

幼い時に空手を始め、たちまち全国大会で優勝した。小学3年になると、2人の兄とボクシングを始めた。「3兄弟でいっつも泣いてたんが和毅」と父は言う。気弱だからではない。「自分が思うようにできないことが悔しいんやろ」。2人の兄に見せつけるように、きつい練習をすることもあった。

中学はほとんど行っていない。早朝からのトレーニングで疲れ、学校をさぼって寝てしまう。「もうちょっと学校行って、友だちつくればよかったと思いますね。いま思えばですけど」。父は学校を休んでもとがめなかった。世界チャンピオンになることは「仕事」だったからだ。

だから、父からメキシコに行くよう言われた時は、「ええよ」と二つ返事で応じた。「その時はめちゃめちゃアホやったから、アメリカやメキシコがどこにあるかも分からんかって。日本語も普通に通じると思ってた」

メキシコで、まず宿舎にしたのは、日本人向けホステル。キッチンやトイレは共有で、同宿者は旅人やプロレス修業の日本人だった。宿に着いた晩、近くの店で買ったサンドイッチの味はひどかった。周囲は治安が良くなく、後に何度か銃声も聞いた。日本語ができる宿の主人に、共用パソコンの使い方からアルファベットまで教えてもらい、兄にメールを送った。「帰りたい」

アマチュアの大会でリングに上がれば、入場時にはブーイングだけでなくモノまで飛んで来て、試合中は「メヒコ(メキシコ)」の大合唱が続く。「完全アウェー」だったメキシコ生活を劇的に変えたのは、アマ大会で出会った一人の女性、女子の部に出場していた大学生のシルセ・クエバス(31)だった。

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最終更新:1/13(日) 12:35
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