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趙紫陽、生誕100年は黙殺されるのか 藤本欣也

1/14(月) 19:50配信

産経新聞

 今年は、中国にとって節目の年だ。建国70年(10月1日)だけではない。学生らの民主化運動を武力弾圧した天安門事件から30年(6月4日)、そして同事件で失脚した趙紫陽元共産党総書記の生誕100年(10月17日)の年でもある。

 趙氏は学生らを擁護して1989年に解任された後、北京の自宅に15年以上軟禁され、2005年1月17日、85歳で病死した。その命日を前に生家を訪れた。

 故郷は河南省滑県。生家のある趙荘村に近づくにつれ、車道沿いには粗末な家屋が増え、「貧困撲滅!」と書かれたポスターが多くなる。趙荘村へ至る脇道に大きな門が建っていた。

 目を見張った。門に「紫陽高照」と大書されていたからだ。元来は縁起の良い言葉らしいが、趙氏の名前をもじっているのは明らかだ。「16年建立」とある。

 趙氏は名誉回復されておらず、彼の故郷は人目をはばかって趙氏との関わりを覆い隠しているに違いないと想像していた。しかし実際には、堂々とその名前を掲げているではないか。

 500世帯が暮らす村に入る。レンガの壁が続く小道に、あばら家があり「趙紫陽出生地」との新しい看板が掛かっていた。門は錠で閉ざされている。中から犬が激しくほえ始めた。

 「やはり、生家は立ち入り禁止か…」とあきらめかけていると、鍵を持って古老(75)が現れた。

 庭は荒れていた。崩れそうな旧居2棟に、総書記時代の写真などが展示されているだけだった。失脚後10年を経てようやく人が訪れるようになったという。

 「今でもたまに参観者が来るので、そのたびに鍵を開けている」と話す古老は生前の趙氏に会っている。

 「能力のある実務家。失脚していなければ、中国は20年進歩していただろう」

 名誉回復の見込みを聞くと、「われわれ民衆が何を言っても仕方がない。決めるのはあの人だから」

 習近平国家主席のことだ。ただ、村が16年に作ったという参観案内の冊子には、こう記されていた。

 「趙荘村は傑出した人物ゆかりの地。いつか必ず、国内外の専門家が研究・考察し各界の人々が観光に訪れる革命の景勝地となる」

 村全体で、趙氏の名誉回復を求めているに等しい。

 なぜ、16年に冊子を作ったのか。村の門を建てたのも16年。古老は「たまたまだ」と多くを語らない。

 趙氏と同じように改革派の指導者で、保守派との権力闘争に敗れて失脚したのが胡耀邦元総書記である。失脚から2年後の1989年、病死した胡氏を追悼する動きが天安門事件に発展したのだが、彼の名誉回復の方は進んでいる。

 湖南省瀏陽(りゅうよう)市にある胡氏の生家周辺には記念館や像が建てられ、観光地と化しているのだ。その大半の整備が終わったのが2015年。胡氏生誕100周年の年だった。習政権は100周年の記念座談会も主催している。

 これに対し、民主化運動の弾圧に反対した趙氏の名誉を回復することは、弾圧を決めた改革開放の父、●(=登におおざと)小平への批判につながる極めて敏感な問題である。

 党はこれまで、写真や映像に趙氏の姿があると加工・編集し、存在を消し去ってしまうのが普通だった。

 しかし-。昨年末、訪れた湖南省にある胡氏の記念館でのこと。繰り返し放映されていた胡氏の葬儀映像には、参列する趙氏の姿がそのまま残っていた。

 風向きが変わり始めたのか。貧困脱出の手段が「趙紫陽」以外にない趙荘村の人々は、そこに期待を寄せる。とはいえ、今年は天安門事件30年の節目でもある。習政権は趙氏の生誕100周年を黙殺するのだろうか。(中国総局長)

最終更新:1/14(月) 19:50
産経新聞

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