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【ラグビー登山家・長澤奏喜の冒険】天国からNZと日本を繋ぐ若きラガーマン。

1/31(木) 12:09配信

ラグビーリパブリック(ラグビーマガジン)

【過去8大会のラグビーワールドカップに出場した25の国/地域にある、それぞれの最高峰がターゲットだ。
 日本代表のジャージーを着て山へ。そしてラグビーボールを、頂上にグラウンディングしてまわっている。ラグビー登山家の長澤奏喜さんからリポートが届いた。
 今回はニュージーランド編!】


 2018年3月28日。ニュージーランドに単身で渡り、スーパーラグビーのプロ選手になるとの夢を抱いた一人の若きラガーマンが他界した。

 湯川帝道(ゆかわ・ていと)さん、21歳。父の背中を見て中学2年時からラグビーの門戸を叩き、高校時代は日本航空石川高校にて3年連続、花園に出場した将来を有望視されていた選手だった。

 帝道さんのポジションはフッカー。身体は小さかったものの、誰も見ていない中、黙々と練習した。正確無比のスローイングと、低く刺さるタックルが武器だった。

 1年生ながらベンチに入り、2年、3年時は不動のレギュラー。チームメイトからの信頼も厚く、花園ではモール最後尾からトライを決める職人気質のプレーヤーである。

「帝道は負けず嫌いな息子でした。けど、自分を花園、熊谷、国体に連れて行ってくれた親孝行の息子です。」

 そう語ってくれたのは父・正人さん、52歳。高校時代の選手名鑑の尊敬する選手の欄に、「父親」と記載されていることを目に涙を溜めながら、笑顔で僕に話してくれた。今も東惑倶楽部でプレーしている男気溢れる現役のラガーマンである。

 帝道さんは3年連続で花園に出場したこともあり、多くの大学からオファーがあった。しかし、より高いレベルでラグビーをやりたいとの思いからNZへ留学することを決めた。NZの語学学校に通いながら、現地のクライストチャーチハイスクール・オールドボーイズでラグビーを続けていた。

 語学学校では国籍を問わずクラスの人気者だった。NZでの新生活に戸惑っていたクラスメートには気さくに声をかけ、また、快く高校の後輩たちを迎え入れた。歳も近く、現地での苦労もわかっているから頼りになる先輩だったという。

 ラグビーは、膝の手術をしたばかりでリハビリからのスタートだったが、持ち前の負けん気と誰よりも練習熱心だったひたむきさが道を拓いた。帝道さんは、次第にチームメイトに認められるようになった。自分より大きいNZ人相手に低く刺さるタックルはコーチ陣たちの信頼を買い、異国の地で確実にステップアップしていた。

 私生活でもラグビー中心の生活であり、日本のサンウルブズがNZのクライストチャーチへ試合でやって来たときは、スクール時代にお世話になった姫野和樹選手とも交流があった。また、ダン・カーターの最後のオールブラックスでの試合後にツーショット写真を撮ったことは現地新聞でニュースも取り上げられた。帝道さんのNZ生活は全てが順風満帆のように見えていた。

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