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ラグビー日本、記録的大敗からはいあがっても……再び壁になったNZ 「あのチームに勝つラグビー」の限界

2/3(日) 7:02配信

withnews

■連載「V7戦士に聞く ラグビーW杯の楽しみ方」(2)

 日本ラグビー協会広報部長の藪木宏之さんに、9月開幕のラグビーワールドカップ(W杯)日本大会の楽しみ方を教えていただくインタビュー。2回目は、1995年第3回大会におけるニュージーランド戦「記録的大敗」のショックから、なんとかはいあがろうと動き始めた日本代表の苦闘をうかがいます。日本の人口約1億2600万人に対し、ニュージーランドは約480万人。福岡県(約510万人)より少ないのに、どうしてそんなに強いのかも教えていただきました。(朝日新聞記者・志村亮)

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「平尾ジャパン」でテコ入れ

志村:前回は、2009年にW杯招致が決まったものの、日本はまだW杯で1勝しかしたことがなかった。だから藪木さんの当時の印象としては喜びより「大丈夫?」という不安のほうが大きかったし、世界のラグビー関係者もそうだったというお話をうかがいました。

1995年の第3回大会でニュージーランド(2019年1月現在世界ランク1位)に記録的大敗を喫した「ブルームフォンテーンの悪夢」といういやな思い出もあって、いわゆる強豪国との力の差が大きすぎたと。

藪木:はい。

志村:そこからどんな見直しが行われたのですか。

藪木:97年に当時34歳の平尾誠二さんが監督につき、強化態勢の見直しに取り組みました。データを分析して緻密な戦略を練ったり、外国人選手を積極的に起用してキャプテンも外国人にしたり。代表スタッフもかなり優秀なメンバーでした。

負け方が変わってきた

藪木:99年の第4回大会は、初戦がサモア(同16位)だったんですけど、大会数カ月前のテストマッチでそのサモアに勝っていたんですよ。いけるんじゃないかと、かなりの期待をもってのぞんだ大会でした。

でも、9対43でよもやの大敗でした。2戦目ウェールズ(同3位)にも15対64の大差で負け、がっくり。平尾さんは00年に監督を辞任します。

志村:そんなに簡単には差は埋まらなかったのですね。

藪木:続く03年の第5回、07年の第6回も、やはり厳しい結果だった。ただし、だんだん点差は開かなくなってきたんです。

たとえばスコットランド(同7位)やフランス(同9位)が相手でも後半20分ぐらいまでは拮抗している。最後には10点差、20点差と開いちゃうんですが。それでも、それまでは30点差、40点差が開いていたのが、少しずつ差が縮まってきた。負け方が変わってきたんです。

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最終更新:2/3(日) 7:02
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