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「日本はいまだ敗戦国のまま」戦後、日米地位協定に挑まなかった罪を半藤一利氏が語る

2/8(金) 12:10配信

BUSINESS INSIDER JAPAN

沖縄の辺野古新基地建設問題や北方領土問題で揺れる今の日本。この時代を日本はどう生き抜くべきか。

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『日本のいちばん長い日』『昭和史』などの著書で知られ、幕末・明治維新からの日本の近現代史に精通する作家の半藤一利氏(88)は、「一つの判断を間違えると必ず危機が起きる。その危機に対処するために、また判断を間違える。

昭和史はその繰り返しだった」と警告し、「難局に対処するための処方箋は歴史の中にある」と強調する。

新著『語り継ぐこの国のかたち』では陸奥宗光や石橋湛山、小泉信三など強い信念や勇気を持って、激動の時代に果敢に向き合っていった人々を紹介。

中でも江戸幕府が安政5年(1858年)にアメリカなど5カ国と結んだ「安政の不平等条約」の改正を成し遂げた陸奥宗光の生き様には教えられることが多い。辺野古問題や「現代の不平等条約」とも言える日米地位協定問題が長年解決できずにいる今の日本へのヒントを与えてくれている。

歴史の中に残された現代と未来への手がかりを求めて、半藤氏に話を聞いた。

反官軍の陸奥にあった競争心

― 新著『語り継ぐこの国のかたち』では、明治政府の悲願だった「安政の不平等条約改正」を36年経って成し遂げた陸奥宗光について書かれています。西欧列強と結んだ不平等条約を、関税自主権を回復して治外法権を認めない完全な平等条約に改正する。陸奥を突き動かしていたものはいったい何だったのでしょうか。

半藤一利(以下、半藤):陸奥はもともと(幕末・明治維新の)反官軍でした。独断だと言われるかもしれませんが、反官軍の人は、薩長の人よりも国を心から愛するという気持ちがかなり強いです。薩長の人の中には西郷隆盛、木戸幸一、大久保利通など人物がたくさんいますが、「この国は自分たちが作ったんだ」という自負がものすごく強い。大日本帝国を作ったのは我々だと。今でも長州出身の人はかなりそれがあるのではないですか。
官軍の人は政府に入って閥をつくり、着々と出世した。軍人でもそうです。長州や薩摩出身は明治大正の大将とか中将にすごく多いです。
これに対し、反官軍の人はみな苦労した。官僚になれず、みな自力で生きなければならなかった。教師や軍人、医者といった職業で自分の身を立てていくより仕方がなかった。

―陸奥宗光には薩長の既得権益に対する怒りや反骨精神があったということでしょうか。

半藤:かなりあったと思いますね。陸奥は、官軍出身の伊藤博文内閣の外務大臣に抜てきされましたが「お前たちの言うことなんかは聞かないぞ」という強い気持ちがあったと思います。

―陸奥は1877年の西南戦争に乗じた土佐(=今の高知県)での挙兵の企て、いわゆる立志社の獄に加担したとして、山形の監獄に長い間入れられました。その獄中で妥協するところは妥協する「政治の論理」を身に付けた。伊藤内閣の下では、不平等条約改正の下準備に抜かりがなかったと本に書かれていますね?

半藤:そこがなかなか偉いところです。官軍出身の外務大臣が何度も何度も条約を改正しようとして、みんな失敗した。反官軍出身の陸奥は競争心を持って、「俺は彼らのような失敗は犯さないよ」と獄中でずっと見ていたのだと思います。そして、大いに勉強もした。

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