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米-ベトナム、敵から友へ…朝米敵対解消の“未来図”

2/8(金) 8:32配信

ハンギョレ新聞

米国とベトナムの関係  米軍の遺骨送還から始まり  援助提供など関係正常化  北朝鮮に多目的のメッセージを与える

 ベトナムが第2回朝米首脳会談の開催国に決まったことで、米-ベトナム関係にも注目が集まっている。紆余曲折の末に「敵から友」になった米国とベトナムの関係が、70年の敵対関係を解消しようとする朝米にとって、一足先に実現した“未来図”である可能性があるからだ。

 「ドミノ理論」に囚われた米国は、1954年のジュネーブ会談で北緯17度線を警戒してベトナムを二つに引き裂いた。1964年には北ベトナムとの戦争に出た。しかし、米国は北ベトナムとの戦争で敗北(1975年4月)する。ベトナム戦争は、米国が初めて負けた戦争となった。

 「不倶戴天の敵」の架け橋となった「平和の使者」は、逆説的にもベトナム戦争当時命を失った米軍の遺骨だった。敗戦から3年目の1977年、カーター米大統領は米軍行方不明者の捜索と米国の援助提供を骨子とする関係正常化交渉代表団をベトナムに派遣した。1987年8月、ロナルド・レーガン大統領は特使を送り、米軍行方不明者と推定される遺骨数百柱を受け取った。金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長とドナルド・トランプ大統領が史上初の首脳会談後に発表したシンガポール共同宣言第4条で、「戦争捕虜及び行方不明者の遺骨発掘の進行」に合意したのと類似した脈絡だ。

 その後も、2000年にクリントン米大統領がハノイとホーチミン市を訪問し、両国間の貿易が正常化され、ベトナムがこれを足がかりに米国市場へ進出するまでには、様々な関係改善の努力があった。ベトナム政府は1986年の共産党第6回大会で、経済改革(ドイモイ)政策を採択し、米国の要求どおり1989年にカンボジアから撤退した。ジョージ・H・W・ブッシュ(父親)時代の1991年4月、米国はベトナムとの関係正常化に向けた段階的なロードマップを発表し、100万ドル規模の人道支援を約束した。戦争捕虜及び行方不明者問題を解決するための米国の事務所がハノイに設けられた。1993年に国際金融機関による援助が認められ、1994年に貿易禁止措置が終了した。1995年2月にはワシントンとハノイにそれぞれ連絡事務所が、同年8月にはついに大使館が設置された。

 クリントン大統領以降、息子のジョージ・ブッシュ大統領やバラク・オバマ大統領、そしてドナルド・トランプ大統領がベトナムを訪れた。米国とベトナムの交易規模は、昨年10月基準で493億9000万ドルに達する。

 米国とベトナムの関係正常化の過程は、現在進められている朝米対話に示唆するところが大きい。ベトナムが経済発展のためにカンボジアからの撤退という米国の要求を受け入れ、米国人捕虜・行方不明者の遺骨を送還したのが、信頼構築と関係正常化の決定的な契機になった点は注目に値する。

 スティーブン・ビーガン米国務省対北朝鮮特別代表は、先月31日(現地時間)に行ったスタンフォード大学での講演で、「朝米が60年前に朝鮮戦争で死亡した米国人遺骨55柱の送還のために協力した」ことを強調し、朝米が追加発掘について協議していることを明らかにした。マイク・ポンペオ米国務長官は昨年、ベトナム経済成長を例に挙げ、「ベトナムが通ってきた道に北朝鮮が進むなら、奇跡が起こるだろう」と述べた。

ノ・ジウォン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)

最終更新:2/8(金) 10:49
ハンギョレ新聞

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