ここから本文です

昭和からの改元日5案 逝去前に政府検討

2/10(日) 0:01配信

毎日新聞

 昭和天皇が逝去した時に元号をいつ改めるかについて、政府が事前に五つの案を検討していたことが、内閣法制局が毎日新聞の情報公開請求に基づいて開示した当時の内部文書で判明した。案の中には、昭和天皇が1988(昭和63)年末に逝去した場合は翌89年元日から新元号を施行する「踰年(ゆねん)改元」なども含まれていた。実際は、昭和天皇は89年1月7日に逝去し、翌8日から平成に改元された。【野口武則】

【写真】昭和天皇を一目見ようと集まった人々=1947年12月5日撮影

 文書は「改元政令案の内容と問題点」と題し、内閣法制局の内部での検討経緯が記されている。作成・取得日が89年1月7日のファイルに保存されている。

 改元の手続きは、元号を改める政令を閣議決定した後、天皇が政令に署名して国民に周知する公布を行う。新元号の施行日は、政府が決めて政令に書き込む。当時、政府内で検討された改元のタイミングは(1)逝去日の午前0時やその年の元日などにさかのぼる(2)改元政令の公布時(3)翌日(4)翌月1日(5)翌年元日――の5案。このうち、昭和天皇が大量吐血後の88年9月下旬の段階で、(3)が元号担当の内閣官房内政審議室(現内閣官房副長官補室)の案とされ、内閣法制局も「(3)を基本的立場とすることが了解されていた」とした。ただし天皇逝去の時期によっては(4)(5)も検討された。

 昭和改元時は、大正天皇が逝去した26年12月25日に「昭和」へ改元している。これを参考に、88年12月25日以前に昭和天皇逝去の場合は「既定方針どおり」の翌日改元とし、26日以降の年末の場合は「崩御が現実のものとなる直前にいかにすべきかを決する」と判断を保留した。文書では「その『現実』がまだ生じないうちに昭和63年が暮れた」と記している。

 一方、(1)は、例えば公布日の同日午前0時に新元号の適用をさかのぼると、「政令の公布文に付すべき日付が(前の元号になり)書けない等の根本的な論理矛盾あり」、(2)の場合は公布の時点を境に1日が二つの元号に分かれ、「法律生活上の事実の特定表記(例、戸籍簿等)に混乱を生ずる」と退けた。

 今回の改元では、自民党内外の保守派が、新天皇が5月1日の即位後に改元政令に署名、公布するよう求め、同日から新元号の施行も可能だと主張した。これに対し、内閣法制局は前回に(1)(2)を退けたのと同じ理由で、保守派の主張を採用しなかった。

最終更新:2/10(日) 0:38
毎日新聞

あなたにおすすめの記事