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「並外れた情熱と行動力」堺屋太一さん死去、各界から惜しむ声

2/10(日) 21:17配信

産経新聞

 8日に83歳で亡くなった堺屋太一さん。幅広い分野でマルチな才能を発揮した“時代の仕掛け人”の死を惜しむ声は、各界から相次いだ。

 「いつ寝ているのかと思うぐらい、人並み外れた情熱と行動力で駆け抜けた人だった」。堺屋さんの自宅を設計するなど40年来の親交があった建築家、安藤忠雄さんは、こう振り返った。

 堺屋さんは、昭和45年の大阪万博の企画・立案に携わったことでも知られる。「『失敗するぐらい大きな発想力で新しい世界を目指そう』というのが信念。敵も多かったろうが、困難もすべてエネルギーに変えてきた」(安藤さん)。2025年に開催が決まった2度目の大阪万博についても、「なんとしても見届ける」と語っていたという。

 安藤さんは、「心残りだったろう。彼の無限大の発想力は、これからの日本にこそ必要だった。今度の万博を成功させることで、その魂を引き継ぐべきだ」と力を込めた。

 昭和45年の大阪万博でコンパニオンの制服を手がけたデザイナー、コシノジュンコさんも、「素晴らしい日本の才能を一つ失い、悲しい限り」としのんだ。

 短い丈のワンピースや地下足袋風のブーツなど、コシノさんの斬新なデザインが物議をかもすと、堺屋さんは周囲との調整に奔走したという。

 「官僚といえばお堅いイメージだが、常に私の良き理解者として振る舞ってくださった。作家に転身し存在感を増し、万博の基本形を作った。経験者として、助言を与えたり、著作を残したり、まだまだ活躍の場はあったはずと思う」と話した。

 政界からも、死去を悼む声が相次いだ。衛藤晟一首相補佐官は、堺屋氏が内閣官房参与として安倍晋三首相に経済政策を助言していたことを受けて、「少子化の時代にどうすれば経済成長を実現できるかを考えてくれた。アベノミクスの一翼を担ってくれた」と述べた。

 通商産業省(現経済産業省)で後輩だった自民党の細田博之元総務会長も、東京都内で記者団に「1970年の大阪万博の功労者。2025年の大阪万博にノウハウを生かせたのに残念だ」と語った。

最終更新:2/10(日) 21:17
産経新聞

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