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早大ラグビー主将、佐藤真吾の悔いなき1年

2/12(火) 18:00配信

4years.

創部100周年の節目の年、早稲田大ラグビー蹴球部は10シーズンぶりに関東大学対抗戦Aグループで同率ながら優勝し、5年ぶりの正月越えを果たしたが、大学選手権の準決勝で宿命のライバル明治大に敗れてシーズンを終えた。あの悔しい敗戦から1カ月あまりが経った2月10日、冬晴れの中で開催された恒例の「追い出し試合」が終わると、2018-19年シーズンの主将を務めたFL佐藤真吾(4年、本郷)は部員全員に胴上げされた。「モヤモヤした気持ちはなくて、スッキリしてます」と言った佐藤に、4年間を振り返ってもらった。

「早明戦」明治のリベンジを写真で振り返る

負けて泣くのは嫌だった

1月2日の大学選手権準決勝は、今シーズン2度目の「早明戦」だった。準々決勝で慶應に劇的な逆転勝利を挙げていたこともあって、佐藤は「想定できるところまでやってたし、チームの雰囲気もよかった」と思い返した。試合前の分析では「アタックを継続してれば、明治がペナルティーをしてくれるというイメージでした」と語る。だが、早稲田と同じく大学選手権に入って調子を上げてきていた明治は、ディフェンスで大崩れしなかった。

27-31でノーサイド。佐藤の4年間のラグビー生活が終わった瞬間だった。くしくも対抗戦と結果が逆で、同じスコア。「いま思えば、もっと厳しく言っておいた方がよかったことはありますし、明治さんが対抗戦のときと明らかに違うのは分かってたんですけど……。ゴール前のディフェンスの粘りがすごかったです」

「勝って泣くのはいいですが、負けて泣くのは嫌だったんです」。佐藤は試合後も気丈に振る舞った。

ただこの日、彼は2度涙を流したという。最初は同じポジションで先発出場していたFL柴田徹(3年、桐蔭学園)に「いままでありがとう」と言ったとき。そして、相良南海夫監督に「チームを引っ張ってくれて、お疲れさまだったな」と声をかけられたとき。いろいろな重圧から、佐藤が解き放たれた瞬間だった。

キャプテンがベンチを温める日々

最後の試合、佐藤は20番を付けたベンチメンバーで、最後の1分間しか出場できなかった。バドミントン部だった中学1年のとき、たまたま体育祭で楕円球を蹴ったのがきっかけでラグビー人生が始まった。あこがれだった早稲田のラグビー部に入部し、1年生のシーズンは腰を痛めて棒に振ったが、2年生の夏の帝京大戦で、ディフェンスで目立ったプレーを見せてレギュラーの座を射止め、2年生、3年生と公式戦に出続けた。

しかし今年度、佐藤を高く評価して主将に指名した山下大吾監督から相良監督に替わり、戦術や目指すラグビーの方向性が変わった。佐藤はベンチを温める日が多くなった。それでもチームをまとめると同時に、自分にベクトルを向けて練習を重ねていた佐藤に、成蹊大戦に続いて今シーズン2度目となる先発のチャンスがやってきた。昨年11月4日の対抗戦、9連覇中の王者帝京大との対戦だ。佐藤はチームをリードするようなプレーができず、早稲田は序盤のチャンスをものにできなかった。その後は後手を踏み、前半だけで0-28と大差をつけられ、28-45で敗れた。

「やらなきゃいけない」という気持ちが空回りしてしまった。「タックルに入れない。視野が狭くて抜かれる。ペナルティーまでしてしまう……。最悪でした。初めての感覚で、いま振り返ってもどうしていいか分からないくらいです。最後のチャンスをもらったのに、何もできなかった」。これが佐藤にとって、4年間でもっとも悔しい試合となった。

その後、佐藤はAチームには入っていたが、首脳陣の評価を高めることはできず、先発出場はかなわなかった。それでも腐ることなく、練習には常に100%で臨み、チームを引っ張り続けた。「スタメンではなかったですけど、キャプテンとしてチームが一つになるために尽力しました。ジュニアの試合を全員観戦にしたり、練習中の雰囲気作りや声かけを徹底したり。上のチームだけでなく下のチームの状況にも目を配ってました」

またリーダーたちと話し合って、早稲田の伝統のいい部分は残しつつ、理不尽や強制を極力なくすようにしたという。たとえばグラウンドの落ち葉拾い。かつては1年生が夜の12時を越えてもやっていた時代もあった。佐藤はこれを少し緩いルールにした上で、継続すると決めた。相良監督には「形骸化するならやめたらどうだ? 」と言われたが、佐藤は「1年生のときにやって、早稲田のいい伝統だと感じたので」と、残したという。

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最終更新:2/13(水) 15:41
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