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海底に眠る米空母「ホーネット」の太平洋戦争 世論を変えた「ドーリットル空襲」母艦

2/16(土) 6:04配信

乗りものニュース

連勝日本に冷や水を浴びせた武勲艦

 第2次世界大戦において、日本軍に撃沈されたアメリカ海軍の空母「ホーネット」が、ソロモン諸島の沖合、深さ5330m地点にて、2019年1月20日に発見されました。アメリカの実業家だった、故ポール・アレン氏が立ち上げた調査チームによるもの。「ホーネット」は、米軍による日本初空襲を行った爆撃隊の母艦として有名です。

【写真】米海軍作成「ドーリットル空襲」宣伝パンフレット

 1942(昭和17)年、日本はまだ前年12月の真珠湾攻撃成功に続く、緒戦の連勝に浮かれています。ところが4月18日、この日本国民の戦勝気分に冷や水が浴びせられます。これが、アメリカ陸軍B-25爆撃機16機で編成された爆撃機隊による、「ドーリットル空襲」です。東京を主目標に、焼夷弾による夜間爆撃を企図していましたが、移動中、日本側に発見され、出撃を急いだために昼間爆撃となり、一部は横浜方面や名古屋、神戸、大阪方面に爆弾を投下しました。

 日本軍はこの爆撃隊の侵入を阻止できず、爆撃隊を運んできたアメリカ艦隊も取り逃がし、本土防衛体制の杜撰さが明らかになって、大きな衝撃を受けました。

 この爆撃隊の母艦が、空母「ホーネット」です。就役したのは太平洋戦争開戦直前の1941(昭和16)年10月20日のことで、最初の大仕事がこの「ドーリットル空襲」でした。

 1942(昭和17)年3月、カリフォルニア州のアラメダ海軍基地にて、「ホーネット」は双発中型爆撃機B-25を16機、積み込みます。艦上機ではないため着艦ができず、ゆえにクレーンで吊り上げて飛行甲板に並べたのです。空母の乗員はいぶかしがりますが、日本本土空襲など思いもよりません。B-25をどこかの基地へ運ぶのだろう、くらいに考えていました。

無謀な片道切符「ドーリットル空襲」はなぜ実施された?

 アメリカは世論で動く国です。緒戦で連敗を続けて国民に厭戦気分が広がれば、不利な条件で日本と早期講和ということになりかねません。これをなんとしても避けたいアメリカ政府、軍部は、国民の士気を鼓舞できるような勝利を挙げる必要があります。そこで発案されたのが、日本本土空襲作戦でした。そのわずか2年後には、アメリカ軍機は日本の空を制することになるのですが、この段階では、日本本土は不可侵だと思われていました。

 艦載機ではなく、足の長い双発の爆撃機を空母で運び日本を奇襲、爆撃機は空母に戻らず、中国大陸に退避するという「片道攻撃」が計画されます。生還できる確率の低い作戦ですが、アメリカはそれだけ追い詰められていたといえるかもしれません。こうして編成されたのが、ジミー・ドーリットル中佐の指揮する「ドーリットル爆撃隊」です。爆撃隊を運ぶ「ホーネット」を含む艦隊も日本の哨戒網に飛び込んでいくわけですが、乗員の士気は高かったそうです。

 4月18日早朝、ドーリットル爆撃隊を輸送していた「ホーネット」を含む艦隊は、先に述べたように、日本の特設監視艇(徴用された漁船)に発見されてしまいます。このため同隊のB-25は、爆撃後、中国大陸までギリギリたどり着ける位置で発進します。16機全機の発進には約1時間を要し、すぐさま「ホーネット」は反転、1週間後の4月25日にハワイの真珠湾へ帰投します。ドーリットル爆撃隊は日本への投弾という目的を達成し、アメリカ軍による日本本土初空襲は大々的に宣伝されますが、作戦詳細は1年間秘密とされ、「ホーネット」の武勲もお預けとなります。

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最終更新:2/16(土) 14:45
乗りものニュース

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