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公債相場「兜町」でも大勝利 足利銀行のルーツに名 石崎政蔵(下)

2/22(金) 20:40配信 有料

THE PAGE

 明治期の西南戦争や米価高騰を見越した米の大相場で名を成した石崎政蔵は、邸宅のあった場所から「湯島将軍」の称号を得ました。不遇の青年時代を経て成功をつかんだ後も、浮き沈みの大きい人生でしたが、内助の功やいくつかの幸運もあり、後に足利銀行につながる小山銀行を故郷に設立、実業家としても足跡を残しました。

 米相場で大もうけした後、公債相場でも大勝利。そんなさなかに警察に踏み込まれ監獄暮らし……。波乱万丈の石崎が故郷に小山銀行を創設するまでを市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。

 3回連載「投資家の美学」石崎政蔵編の最終回です。

 明治10(1877)年の西南戦争から同13年にかけての米相場高騰で大勝利を収めた石崎政蔵は、公債相場でも大もうけする。公債が上場されて最初の大勝利者となる。米の舞台は日本橋・蛎殻町の米商会所だが、公債は隣の兜町、東京株式取引所である。

 ここでの公債は、旧来の禄制度廃止に伴って、明治政府が華族・士族の秩禄処分の最終措置として明治9年に交付した金禄公債のこと。発行総額は1億7390万円という巨額で、財政に大きな負担を与えたが、低利公債への書き換えやインフレの進行もあって、徐々に財政への負担は軽減していった。

 その半面、旧士族は国立銀行や鉄道会社への投資を行い、実業家へ転身したり、公債を換金したりして、官僚や学者、会社員となった。また明治7(1874)年から12年にかけて家禄を奉還した者に対して交付された秩禄公債も金禄公債と同類だが、規模は1656万円と小さかった。

 明治11年、東京株式取引所が設立されるのは、この公債の発行と関連した施策である。

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最終更新:2/22(金) 20:40
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