ここから本文です

立川志の輔が語る「オチ」の芸術性 落語と映画の違いとは

2/24(日) 18:51配信

BuzzFeed Japan

映画と落語、異なる“オチ”の芸術性

演じたのは「大吉」という70歳の老人です。送られてきた脚本を見て驚いたのは、やはり映画と落語との違いでした。

僕ら落語家は言葉を頼りにしゃべるわけです。不思議なことですが、たとえ映画の脚本であっても、ついつい言葉を追い求めようと思ってしまうんですね。

落語には「笑い」があり、最後に大きなオチがある。落語家は、そこに向かって進むわけです。

ところが、今回の映画『ねことじいちゃん』は、老人とネコを主人公にした日常生活のワンシーンを描いた作品です。

サスペンスじゃないから大事件も起こらない。犯罪者も出てこない。描かれるのは、飼い猫との暮らしや同じ島に住む仲間との日々、都会で暮らす息子とのすれ違いです。日常という枠は出ていない。

あくまで“台本だけ”を見るとオチがないんですよね。

だけど、これは映画の台本であって、落語の台本じゃない。

実際に映像になると、印象は全く違った。エンディングでは、主人公の老人が、何も言わずにネコと二人で桜並木を歩いていく。そしてドローンを使って、二人が暮らす島をロングで映し出す。

映像として、最高のオチだったわけです。

落語じゃないとわかっちゃいるけど、どこかで落語だと思って脚本を読んでいた自分がいた。

でも、作品の出来上がりを見てわかったんです。ああ、これが映像の美なんだ。カットの積み重ねの芸術なのだ、と。

試写ではなんとなく気恥ずかしくて、スクリーンを直視できなかったんです。でも、このことに気づいた辺りから、自分が演じた老人を「大吉さん」という独立した人なんだと思えるようになった。

そして、猫のタマ役のベーコンが、私を嫌わず1カ月ずっと膝の上、腕の中にいてくれた。それが何よりもうれしかったですね。

「落語ではありえない、一人一役」

初めて映画の主演をやらせていただいて、改めて気づいたこともありました。

共演していただいた役者さん達からは、こんな声をかけていただいたんですね。

「志の輔さん、落語では一人何役もやってるんじゃないですか。一人を演じるぐらいどうってことないでしょ?」

ただ、それは違うなぁと気づきました。

一人一役を演じきる、その人になりきるってことは、実は落語家は一切していないんですね。そんなことしたら人物の切り返しができないですから。登場人物が一人になっちゃう。落語ではありえないことだったんです。

3/5ページ

最終更新:2/24(日) 18:51
BuzzFeed Japan

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事