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元教諭の大川小遺族が向き合い続ける「あの日」 東日本大震災8年

3/8(金) 16:01配信

毎日新聞

 東日本大震災の津波で児童・教職員84人が犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校で、あの日の記憶を語り続けている男性がいる。同小に通っていた次女・みずほさん(当時12歳)を津波で亡くした「小さな命の意味を考える会」代表の佐藤敏郎さん(55)だ。震災時は同県女川町の中学教諭だったが、2015年に退職し、勉強会や講演会などで震災の経験を広く伝える活動に力を注いできた。佐藤さんにとって「8年」はどんな意味を持つのか。活動の変化や今後の展望についても聞いた。【写真映像報道センター・加藤隆寛】

 ◇若者たちが語りだした

 ――改めて、教諭を辞めるという決断に至った経緯を教えてください。

 実は決断をしたという感覚はないんですよ。流れです。私は震災前から「自由な立場で学校の中と外をつなぐ人が必要だ」「なれるなら自分がなりたい」と思っていました。だから3・11は(実現の)タイミングだったんです。学校は辞めましたが、今でも教諭を辞めたという感じは全くありません。全国のいろいろなところにある「教室」で、私の力が何らかの役に立てばいいなと思っています。

 ――あの日から8年。活動にあたって何か変化を感じますか?

 私自身の意識は変わっていない気もするし、変わった部分もあるような気がして、正直よくわかりません。一つ言えるのは、若者たちがいろいろなことを企画したりディスカッションしたり、自分の言葉で語りだしているということです。東北の若者と東北以外の若者のつながりもできて、広がってきている。あの当時、小中学生だった彼らがやっているということにすごく意味があると思っています。

 彼らには「もっと広く、遠くに伝えたい」という課題意識があります。例えば、この前の西日本豪雨でも「もっと(東日本大震災の経験を)伝えることで助かった命があったはずだ」と反省しています。また、「次の世代に伝えたい」という思いも強い。今の小学校低学年などはほとんど震災の記憶がないので、そこに語り継いでいきたいという思いはむしろ大人の我々よりも強いようです。

 ◇キーワードは「ネット化」

 ――講演では防災の「ネットワーク化」の必要性を強調していますね。

 私は震災前から「垣根を越えること」が必要だと考えていました。学校での学びも、学校外のいろいろな物・人とつながった方が豊かになります。学校だけではなくて世の中のあらゆる場面でそれが必要なのではないでしょうか。防災で言えば、学校も頑張っているし、地域もいろいろな取り組みをしている。ボランティアもNPO(非営利組織)も社会福祉協議会の人たちも、行政も企業もみんなそれぞれ頑張っている。でも、それらをもっとつないでいく必要があります。

 3・11の時は女川町にNPOが入って子供たちの居場所づくりをしてくれて、すごく助かりました。災害には垣根がありません。大人にも子供にも、行政職員にも学者にも農業の人にも漁業の人にも、誰にでも同じように降りかかります。だからみんな一緒になって考えた方がいい。若者はそういう垣根をヒョイと越えてしまいます。越えてみれば、実は垣根なんてなかったということも多いんです。復興や街づくりの中でも、もっとみんな溶け合うべきじゃないか。それには建前ではない、血の通った対話が必要になります。あの震災の時も、上辺だけの文書や計画、マニュアルで何かを準備した気になってはいなかったでしょうか。むしろそういうものによって大事なことが見えなくなってしまうこともある。垣根を越えて踏み込んで、コミュニケーションを深めていくべきだと思います。

 ――この先の活動についてどんなことをイメージしていますか?

 今、仲間たちと一緒に「スマートサプライビジョン」という団体を作り、ウェブを用いた市民参加型の支援プラットフォームを整えています。これは災害時、必要な人に必要なものを必要な分だけ届けるシステムです。私の出前授業もこのシステムの一部になります。

 例えば、ある被災地のある避難所でトイレットペーパーが100個必要になったとします。ウェブにその情報を上げると、支援したい人が1個でも2個でも支援できる。2個支援すれば「残り98個」とカウントされ、ゼロになったら支援はストップ。ウェブページ上で常に達成率が分かります。これまでの災害時には「トイレットペーパーが必要な所にカップ麺しか届かない」などといった支援のミスマッチもかなりありました。行政にすべて背負わせるのではなく、ウェブも含めたいろんな手法を使っていくべきだし、熊本地震や西日本豪雨などを経てシステムはかなり出来上がってきています。

 ◇誰もが「当事者」である

 ――震災8年の節目に、全国の人にどんなことを伝えたいですか?

 私たちもあの日まではすごく(災害は)人ごとだったんですよ。ああいうことが起きてしまって、被災者と呼ばれる立場になったけれども、実は皆さんとあまり変わりがなかった。誰でもそう(被災者に)なる可能性があるので、当事者性をみんなが持てるようになればいいなと思っています。

 今、いろいろなところで「風化」という言葉が聞かれます。復興にも風化にも同じ“進む”という述語が使われますが「復興が“進む”」イコール「風化が“進む”」だと私は思いません。むしろ「風化しないこと」こそが復興ではないでしょうか。

 女川町では新しい街づくりがすごく進んでいて、いろいろなイベントがあったり、芸能人が来たり、商店ができたりして、まるであの時壊滅した街とは思えないような復興を遂げています。だからといって「風化」しているのかというと、していない。女川の人たちがあれだけ明るく街づくりできるのは、犠牲になった人たちのことを決して忘れないからです。「亡くなった人たちがいつも一緒にいる。空から見ている」「だからみんなで楽しい街づくりをしよう」といつも言い合っています。そういうところまで踏み込んで、みんなで考えられたらいいですね。

◇プロフィル

 さとう・としろう 1963年、宮城県石巻市生まれ。2011年の東日本大震災時には同県女川町立第一中(現女川中)の国語科教諭だった。15年3月に退職後、同県の被災地で語り部ガイドを務めるほか、全国の学校・団体・企業などに出張して精力的に講演活動を続けている。3・11に大川小で起きたことを検証・伝承するための任意団体「小さな命の意味を考える会」の代表。地元ラジオ局の番組でパーソナリティーも務める。

最終更新:3/8(金) 19:05
毎日新聞

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