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受験の不合格をどう受け止めるべきか 勝ち負け以上の価値に気づく

3/10(日) 17:10配信

Hint-Pot

 今年度の受験シーズンは、10日の東大をはじめとする国公立大学の合格発表で山場の一つを迎えた。受験生の子を持つ家族にとって、悲喜こもごもの日々の連続だったに違いない。果たして、合格者が勝者で不合格者が敗者なのか? なぜ受験の合否に一喜一憂するのか。受験を経験し、本当に大切なものはなにか? 中学受験「必笑法」の著者で、育児・教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏に寄稿してもらった。
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受験の結果によって人生が変わるのか?

 3月10日に東大・京大をはじめとする国公立大学の合格発表が行われた。昨年秋口の小学校受験から、1~2月の中学受験、2~3月の高校受験および大学受験におよぶ受験シーズンのクライマックスだ。

 毎年週刊誌は、高校別の合格者数ランキングを掲載し、それが売れる。どこかお祭り騒ぎ的な感すらある。「受験の弊害」などと言われて久しいが、受験好きな国民性であることも否めない。

 合格者がいるということは、不合格者もいる。たった1点の違いで天国と地獄に分けられる。最高峰の東大でも、もういちど入試をすれば、合格者の下半分が入れ替わるといわれている。

 1点の違いによって、合格を手にした者が勝者で、不合格になった者が敗者なのか。そんなことあるわけない。もしたった1点の違いで、2人の人生に取り返しの付かない差が付いてしまうのだとしたら、それは社会の構造の問題だ。

 しかし実際のところ、大学受験であれ、高校受験であれ、中学受験であれ、その合否によって人生が変わってしまうかのような社会的脅しが流布している。

 そのために受験生は、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のような気持ちで自分だけでも「勝ち組」になろうとする。それがどれだけ子供たちの人生観を歪めてしまうか。そしてそれがどれだけ社会に歪みをもたらしているか。

 なぜ受験の合否にそれほどまでに一喜一憂するのか。「学校名」「大学名」でそのひとの価値を推し量る文化的悪習があるからだ。

 その延長線上にこんな議論もある。「国際的な大学ランキングで見れば東大だってトップではない。これからは海外の一流大学を目指さなければいけない」。どこまでブランド志向なのだろう。世界に目を向けても昭和的学歴主義から抜け出せない病だ。

 世界トップクラスの大学に進んだとしても、そこにあぐらをかいてまともに学ばなかったら、何にもならない。偏差値の低い大学に進んだとしても、そこで自らの興味・関心に突き動かされ、大学のリソースを徹底的に活用し、探究することができれば、そこから得られる果実は計り知れない。出身大学名がそのひとの価値を規定しないことなど自明である。

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最終更新:4/5(金) 17:58
Hint-Pot

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