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東京大空襲から74年。あの日、火の海になった東京はいま…(写真)

3/10(日) 14:29配信

BuzzFeed Japan

1945年3月10日の東京大空襲から74年を迎えた。 米軍のB29爆撃機およそ300機が来襲し、約1700トンの焼夷弾を投下。約10万人の命が失われた。74年のときが経た今も、都内には戦争の記憶を伝える遺構が残っている。そのいくつかを紹介する。【吉川慧 / BuzzFeed Japan】

言問橋(台東区・墨田区)

言問橋(ことといばし)は隅田川にかかる橋。東京大空襲の時、避難民たちが橋の上で逃げ場を失い、多くの焼死者を出した。

戦後になって改修されたが、橋の親柱にはいまも焦げ跡が残る。

橋の西詰(台東区側)には、空襲犠牲者の慰霊碑がある。碑文にはこう刻まれている。「あゝ東京大空襲 朋よやすらかに」。橋の向こうには東京スカイツリーが見える。

鎌倉橋(千代田区)

日本橋川にかかる橋。関東大震災後の1929年に設けられた。1944年11月24日午後12時45分、日本軍の高射砲不発弾が鎌倉町交差点に落下、破裂。鎌倉橋に弾痕が残った。(参考:「決定版 東京空襲写真集」勉誠出版)

鎌倉橋

橋の向こうには日本政策金融公庫が入る大手町フィナンシャルセンターがある。

浅草寺境内のイチョウの木(台東区)

浅草寺本堂東南にあるイチョウの木。樹齢800余年といわれ、源頼朝が浅草寺参拝の折、挿した枝から発芽したと伝えられる。1930年に天然自然記念物に指定されたが、東京大空襲で被災。天然自然記念物の指定は取り消されたが、戦争をくぐり抜けた“神木”として残る。

神田明神境内のイチョウの木(千代田区)

江戸時代からあるとされる銀杏の大木。東京大空襲で焼けただれたが、新たな芽を出して現在にまで残っている。

JR高尾駅ホームに残る機銃掃射の跡(八王子市)

高尾駅1番・2番ホームの支柱に残る機銃掃射の弾痕。1945年7月、米軍機の機銃掃射の跡とされる。

旧軍人会館(千代田区)

1934年、在郷軍人のために「軍人会館」として建てられたもの。二・二六事件(1936)では戒厳司令部となった。戦後は「九段会館」としてホテル・イベント施設となったが、東日本大震災で天井が落下。死傷者が出た。現在、建て替え工事中。

旧近衛師団司令部庁舎(千代田区)

1910年竣工。終戦直前、昭和天皇の「終戦の詔勅」を収録したレコード(玉音盤)の奪取未遂事件が発生。庁舎内で森赳師団長が殺害された。のちに半藤一利氏は、事件を『日本のいちばん長い日』として小説化した。現在は東京国立近代美術館工芸館。

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最終更新:3/14(木) 12:43
BuzzFeed Japan

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